国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(岡山県瀬戸内市)の入所者の解剖記録から、本人が解剖に同意したとする日付が死後となっている数多くの記述が見つかった。愛生園の調査でわかった。療養所での解剖は歴史的に「死亡イコール解剖」と指摘されるほど大規模に実施されてきたなか、本人同意が捏造(ねつぞう)されていた疑いが浮かぶ。
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解剖は病理解明を目的として遅くとも1920(大正9)年ごろに始まった。国の強制隔離政策のもと、戦後まもなく治療法が普及した後も、半数以上の療養所で、80年ごろまでほぼ全ての死亡患者が解剖されていた。国立療養所は現在、全国13カ所。
解剖は本人側の同意を得て実施という運用だったとされる。だが実態について国策を検証した厚生労働省の「ハンセン病問題検証会議」の最終報告書(2005年)は、患者は入所の際、解剖に承諾する署名を強要されていたとし、「死亡イコール解剖」という図式が定着したとしている。
愛生園では開園翌年の1931(昭和6)年から56年までの死亡者のうち、少なくとも1834人分の解剖記録が保管されていた。解剖の同意書となる「剖検願(ぼうけんねがい)」のうち、32、33年、45~48年の一部にあたる175件について愛生園は昨年末から年始にかけ、死亡診断書などと照合して調べた。その結果、不適切な同意形成で実施された解剖の存在が浮かび上がった。
それによると、本人が同意したとして署名した日付が、全体の22.3%にあたる39件で「死後」の日付になっていた。「死亡当日」は29件(16.6%)、「7日前~死亡前日」は92件(52.6%)。そのうち46~48年は全66件が「死亡当日」か「死後」だった。
死亡が午前3時40分なのに同意が死亡当日だったり、心臓まひで急死した入所者の同意が死亡の2日前だったりしたものもあった。
山本典良園長は愛生園の機関誌で調査結果を発表し、「剖検願が当時の医師らによって偽造された可能性がある」との見解を示す。愛生園では同意を得る時期が危篤直前だったとされており、動機について「最後まで生きようとしている入所者にとっては死の宣告につながる。そのため、医師らは話を持ち出せなかったのではないか」と朝日新聞の取材に話した。
入所者自治会長の中尾伸治さん(90)は「解剖で医療が進んだと思うが、今の時代から見れば、患者に人権はないようなやり方だ」と話す。
人権が顧みられない数々の実態 優生思想との関係を検証すべき
厚生労働省の「ハンセン病問題検証会議」の副座長を務めた内田博文・国立ハンセン病資料館館長の話 療養所の解剖では体中のあらゆる臓器が病理に無関係のものまで摘出され、摘出された臓器の扱いもずさんだった。治療法普及後も大規模な解剖は長らく続けられた。入所者が研究材料として扱われるような、尊厳が顧みられない数多くの実態があった。同意が強要されていたことはわかっていたが、愛生園の調査結果からは、本人の意思確認すらしない不適切な同意形成があったこともうかがわせる。解剖は本当に患者のための医学目的だけでなされていたのか。優生思想との関係が疑われる。強制的な断種や堕胎、開発中の薬剤「虹波」を入所者に投与し、死亡例が出た後も投薬が繰り返された問題とともに検証すべきだ。