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1981年大相撲名古屋場所で幕内2度目の優勝を果たした千代の富士は、横綱昇進が決まり、にっこりした。左は九重親方(元横綱北の富士)

 北の富士さんは、気取らない、歯切れのよいコメントと季節感ある着物、洋服を着こなすセンスが光り、長く、NHKの大相撲中継の「顔」とも言えた。

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 横綱まで上り詰め、親方としても千代の富士、北勝海の2人の横綱を育てたが、それをひけらかすこともなく、角界人でありながらファン目線を忘れない。理詰めの元小結舞の海さんとの掛け合いは、お茶の間に憩いをもたらし、昭和、平成、令和の大相撲人気を支えた功労者だった。

 好き、嫌い、ひいきの力士をはっきりと口に出す人だった。

 モンゴル勢全盛時代に出てきた横綱稀勢の里の自称応援団長で、彼の調子が悪いと、「私も休場したい」。業師の宇良が勝つと、「こういう力士が活躍しないと面白くない」と言った。

 一方、現役終盤の横綱白鵬が「かちあげ」を多用すると、苦言を呈した。ひじが相手のあごを狙っているという指摘で横綱審議委員会から「見苦しい」という声が出ていた直後に、稽古総見で白鵬がその技を出した。はっきりとコメントしない日本相撲協会関係者に代わって北の富士さんは「不届き者だね。ケンカを売っているのかな、横審に」と発言。白鵬が歴代最多45度目の優勝を飾った2021年名古屋場所14日目に正代戦で徳俵ギリギリまで下がって立った一番には、「横綱のすることじゃあない」と怒りをぶつけた。

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テレビ出演直前の北の富士さん。ラジオ解説のときは、ジーンズに野球帽といったラフな姿も=2019年5月12日、東京・国技館

 波瀾(はらん)万丈の相撲人生だった。

 北海道旭川市出身。同郷の横綱だった千代の山にスカウトされ、出羽海部屋に入門したが、体重不足で新弟子検査に不合格。特別制度で何とか力士になれた。

 野球少年だったから相撲は文字通り素人。前に出るしか能がなく、「(将棋の)香車」と呼ばれた。当時の協会内にあった「30場所(5年)で幕下に昇進できなけば廃業」制度に引っ掛かりそうになったが、26場所目でようやく幕下に上がった。

 その後は歴代3人目の十両全勝優勝や新入幕力士最高の13勝をマークするなど、順調に出世した。番付運にも恵まれ、現在は前3場所33勝が目安とされる大関昇進を8、10、10勝の計28勝で達成してから3場所後、一大転機が起こる。

 力士に導いてくれた恩人の千…

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