母校の山城高校で打撃指導をする吉田義男さん=2006年11月、京都市北区

 京都市出身で、阪神タイガースの監督を務めた吉田義男さんが3日、亡くなった。現役時代は華麗な守備から「牛若丸」の異名を持ち、1985年には阪神を日本一に導いた。母校・山城高校の甲子園出場を願った吉田さんを、京都のゆかりの人たちも偲(しの)んだ。

 吉田さんは50年、山城高2年の夏に甲子園に出場した。翌年の夏は平安高校に敗れ、甲子園に出られなかった。

 山城高は、昨夏に106回を数えた全国高校野球選手権大会の地方大会に第1回から出場する「皆勤校」。3月に始まる選抜大会では近畿地区の21世紀枠の候補になったが、1月の選考委員会で選ばれなかった。

山城の甲子園出場、見せたかった

 訃報(ふほう)に接した山城高の岸本馨一郎(けいいちろう)監督は「(甲子園出場という)良い報告ができないままで残念という思いです」と語った。

 岸本監督も山城高出身。数年前、甲子園でOB戦をしたときに吉田さんに会った。吉田さんは「今の現役(高校生)は、どうや」などと声をかけ、後輩の球児たちの活躍を楽しみにしていたという。

 岸本監督は「天国まで山城の名前が届くよう、これからも頑張らなければ、という気持ちです」と話した。

居酒屋に誘ってくれ、フランクに

 阪神ファンで、吉田さんと約20年間のつきあいがあるという会社役員の山田高士さん=京都市上京区=はテレビのニュースで訃報を知った。「元気な吉田さんしか見たことがなく、まだ気持ちを整理し切れていない」と言葉を詰まらせた。

 吉田さんとは阪神の岡田彰布・前監督の後援会を通じて知り合った。吉田さんから、たびたび居酒屋に誘われた。「20歳も先輩で、お父さんみたいで緊張したが、いつもフランクに接してくれた」と振り返った。

京都スポーツの殿堂、第1回の殿堂入り

 吉田さんは、京都市が2010年から始めた「京都スポーツの殿堂」の第1回の殿堂に、元広島カープの衣笠祥雄さん、陸上の朝原宣治さんとともに選ばれた。衣笠さんは生前、朝日新聞の取材に、阪神のショートとして活躍していた吉田さんにあこがれて内野手を希望したと明かしている。

 松井孝治市長は「長年にわたる偉大なご功績に改めて心から敬意と感謝の意を表します」とコメントした。

京都市出身の衣笠祥雄さん=2010年2月、東京都港区

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