
楽しくもあり、苦しくもあり。昭和から学校の記憶を彩ってきた給食。京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史さんに、戦前戦後と地続きの給食の役割を聞きました。
リレーおぴにおん 「100年目の昭和」
コッペパンと脱脂粉乳。昭和の学校給食の記憶として語りつがれる代表的なメニューです。日本が第2次世界大戦に敗れ、連合国軍に占領された時代。給食は、米国の余った農産物を消費する場ともなり、日本人の食生活を変えていきました。
昭和終盤の1980年代に島根県の農村の中学生だった私も、米どころなのに週3回もパンを食べたし、ぬるい脱脂粉乳を飲んだ経験もある。給食には、戦勝国の米国に加えて、政治、企業や学校という組織から、子供に対して食のありかたを強制する権力性が潜んでいます。
ただ、それだけではありません。
日本の給食は100年以上の…