ゲノム医療で見つかった薬で回復し、大学にも通えていた頃の太田凡さん=2024年9月27日、京都市の京都府立医大、辻外記子撮影

 2024年4月。記者が大阪に異動したと知り、京都府立医科大教授で救急医の太田凡(ぼん)さんは連絡をくれた。「3カ月前にステージ4の膵(すい)がんと診断されました」。会ってお聞きした。

 初めて会ったのは、07年秋。東京大学医療政策人材養成講座(HSP)を受講し、救急車の搬送困難事例をどうしたら減らせるか。議論を重ねた。

 太田さんは当時、救急車を断らない、神奈川の湘南鎌倉総合病院に勤めていた。「うちの病院、見に来ませんか」と誘ってくれ、「断らない救急」の必要性と過酷さを私は知った。

 10年、太田さんは母校の府立医大の教授に就いた。その後も、医療取材の相談にのってもらっていた。

 大学に移った理由を昨春、改めて聞くと「救急車を断らない文化を広め、社会を変えたい。挑戦しようと思いまして」。

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劇的な回復と、再びの悪化

 途切れた連絡は、9月に再開…

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