茅葺(かやぶ)き屋根の古民家とともに、色とりどりの花や魚が描かれたインスタントハウスとテントが並ぶ。この光景は、能登半島地震の被災地で、持続可能な未来の模索が始まった証しでもある。
能登半島の中心部、石川県輪島市三井(みい)町の「茅葺庵 三井の里」。雪がちらつく2024年12月22日朝、山本亮さん(37)は、各地から集まったボランティア約20人を前に、「1年前は能登を離れようと思っていた」と語りかけた。
この日は年内最後の活動日。話すうちにあふれてきた涙を拭った。「あの時は、まさか自分が12月になって、『能登をよりよくするため活動したい』という気持ちになるとは思っていなかった」
東京育ちで大学のフィールドワークのため三井に滞在したのをきっかけに、10年前に移住した。美しい里山の風景と、土地に根ざした暮らしにひかれたからだ。茅葺庵は山本さんが運営するレストランで、地域の民宿を生かして里山全体をホテルに見立てた宿泊業の拠点でもあった。
2024年の元日は東京にある妻の実家にいた。午後4時10分、スマートフォンの緊急地震速報で、能登の地震を知る。茅葺庵に集まってきた地域の人たちから「暖をとるために薪(まき)をつかわせてほしい」と連絡を受けたが、状況はよく分からない。眠れない夜を過ごした。
しばらくは東京にいながらできる支援をし、初めて輪島に戻ったのは、発災2週間後。山が崩れて道路をふさぎ、家々は倒壊。家族で住んでいた借家も半壊していた。能登を離れよう。そう心が傾きかけていた。
「これからどんどんボランティアが来てくれる」
ところが茅葺庵は、同じ移住…