
2003~07年に大阪市長を務め、職員厚遇問題をきっかけに市政改革に取り組んだ関淳一さんが9日、死去した。88歳だった。当時手がけた改革は、役所内や労働組合などからの強い反発もあった。関さんは直面する課題にどう向き合ったのか。市長だった関さんを担当した記者が、報告する。
関氏は元々医師で、行政運営にたけていたわけではない。市幹部と労働組合が一体の「オール市役所」で助役出身の市長を誕生させてきた組織から担がれた。当初の印象は「ぽつりぽつりと言葉を選んで話す、優しい人」。政治家とは思えなかった。
- 元大阪市長の関淳一さん死去 職員厚遇問題を機に市政改革に取り組む
2004年8月、市が「職員互助組合」に税金をつぎ込み、職員に過剰な福利厚生をしていると朝日新聞は特報した。早朝に自宅へ新聞を届けた私に、関氏は「しっかり対応する」と言った。
公費300億円をつぎ込んだ…