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戸巻友次郎さんの墓の近くの水田では稲穂がこうべを垂れていた。戸巻さんもこうした風景を見て育ったのか=2024年9月28日、秋田県横手市、佐藤純撮影
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 101年前の関東大震災の直後、埼玉県内では200人前後の朝鮮人が殺された一方で、言葉や身なりが怪しいというだけで多くの日本人も襲われた。秋田県横手市にゆかりがある2人の男性も巻き込まれた。(佐藤純)

 埼玉県熊谷市から北に約360キロ、秋田県の旧田根森村、現在の横手市の農村部にある集落の共同墓地に、古びた墓がある。

 墓石の正面右側に「戸巻友次郎」と刻まれ、右側面に「大正十二年九月一日」とある。関東大震災が起きた1923年の日付だ。正面左側に女性らしき名前、左側面に別の日付も見える。

 付近の複数の戸巻姓の住民によると、2人の身元や建立の経緯はわからないという。

 埼玉県の教員らが70~80年代にまとめた「かくされていた歴史」には、県北部の旧長井村と隣の旧妻沼(めぬま)町(いずれも現在の熊谷市)で、朝鮮人と間違われて日本人が襲われ殺された「妻沼事件」に関する複数の記事や証言が収録されている。

関東大震災101年 襲われた日本人

 記事後半では、秋田県横手市出身の男性が襲われ殺された妻沼事件の詳細や背景、男性のものとみられる墓がある地元の様子を紹介します。

■デマ伝わり、朝鮮人と間違わ…

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