
助かる見込みがなくなっても、一度装着した人工呼吸器は取り外せない。だから、装着すること自体を差し控えたり、どんなに患者側が希望をしても外せなかったり。救急や集中治療の現場でみられるそんな誰もが望まない状況を、打破したい――。
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こうした問題意識のもと、救急や集中治療を担う医師たちの学会が、終末期医療に関する指針の改訂に向けて動き始めている。
3学会から4学会へ 緩和医療の学会が参加
最大のポイントは、10年前に合同で指針をつくった日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本循環器学会に加え、新たに緩和ケアを専門とする日本緩和医療学会が加わり、4学会合同の指針として改訂作業をすすめている点だ。
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人工呼吸器などの治療の中止をめぐっては、医師が訴追される事件が1990年代以降に相次いだ。厚生労働省は2007年、患者にとって最善の終末期医療を決めるための手続きをまとめた指針を公表した。
指針では、生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は対象外とした。そのうえで、患者の意思を尊重することや、医師単独ではなく他職種の医療・ケアチームで対応することの大切さを説き、治療の中止も容認した。
ただ、終末期とはどのような状態かを定義していないなど、使いづらいとの声が現場では強かった。
厚労省の指針を踏まえつつ、救急や集中治療の現場での具体的な手順をまとめたのが、日本救急医学会などの3学会が14年に公表した今の指針だ。
どのような状況を「救急や集中治療における終末期」と呼ぶかを定義し、具体的な状況を例示した。筋弛緩(しかん)剤などで死期を早めることは行わないことも明記された。
だが、結果的には、十分に活用されているとは言えないまま、10年が推移した。
10年たって見えてきた、現行指針の3つの課題
なぜ、現場に定着しなかったのか。理由はいくつかある。
一つは、想定された終末期の範囲が限定的だったこと。今の指針では、終末期の対象を、集中治療室で積極的治療を続けても「おおよそ2~3日程度以内」に亡くなることが予測できる患者に限っている。
ある救急医は「現場で実際に困っているのは、指針が想定したケースではなく、数日では亡くならないけれど、回復が見込めないケース。だから、指針は使えなかった」と指摘する。
もう一つは、法的な責任を問われる懸念が払拭(ふっしょく)できなかったことだ。厚労省の指針も学会の指針も、治療を中止した医師が訴追されないことを法的に担保しているわけではない。
ただ、07年の厚労省の指針を座長としてまとめた樋口範雄・東京大学名誉教授は、厚労省が指針を公表して以降、医師が終末期の患者の治療を中止したことで、有罪となったケースは無いと指摘する。
実際に人工呼吸器を止める場面を放送したテレビの報道番組もあったが、舞台となった病院の医師は刑事訴追されていない。
樋口さんは「厚労省の指針はすでに、法的な役割を果たしていると思っている。抜管をすると刑事訴追される恐れが……などという議論は、時代遅れだ」と話す。
そして三つ目は、治療を中止した後、命を閉じるまでにどのような医療を提供すればよいのかが、指針にまったく記されていなかったことだ。
4学会合同の指針改訂委員長を務め、米国で外科・救急・集中治療医療に携わってきた帝京大医学部の伊藤香准教授は「本来、根治的治療と、症状をやわらげる緩和ケアは、一緒に走るべきもので、根治的治療を終了しても緩和ケアは続く。それなのに、日本では『死の直前』になるまで緩和ケアが治療の選択肢として提示されないところが問題だ」と話す。
終末期医療に向き合う医療者にとって、人工呼吸器などの治療の終了は、その先の緩和ケアに移るためのひとつの選択という位置づけだ。
刑法上の問題をクリアにするカギは
ただ、中京大の緒方あゆみ教授(刑法学)は「現状では、『積極的な生命維持治療の中止=即死』という認識が一般的で、医療界の認識とのずれがあるのではないか」と話す。
緒方さんは、「治療の中止について患者が事前に意思表示していることが前提になる」とした上で、こう指摘する。「積極的な治療の中止は、緩和ケアへと移る治療の一環であることが、医療界でも、一般市民にとっても、社会的に容認できる社会通念になれば、憲法が保障する幸福追求権や、自己決定権の尊重の観点から、刑法の問題もクリアできるのではないか」
そのためには、患者の意思を繰り返し確認することや、一度決めても撤回できることなど、必要なプロセスも当然踏むことが欠かせない。国民の理解を深めることが、カギになる。
日本緩和医療学会理事長の木澤義之・筑波大教授は「いったん中止を許容してしまったら、安易に中止するのではないか、という議論も当然ある。考え方や手続きを示し、ちゃんと縛りを掛けるためにも、指針が必要だ」と話す。
こうした背景を踏まえ、今回の改訂では、積極的な治療から緩和ケアへと移行する具体的な手順を紹介するほか、終末期の定義の見直しも議論されている。
改訂に込める、医師たちの思い
昨秋に仙台市で開かれた4学会合同のシンポジウムでは、患者が回復するか確認するために期間を決めて根治治療を試みる「タイム・リミテッド・トライアル」と呼ばれる手法について、活発な意見が交わされた。
助かる可能性があるのに、治療を始めたらやめられないので差し控えてしまう。この状況を変える一つの方法であり、東京ベイ・浦安市川医療センター(千葉県浦安市)などが取り組んでいる。
伊藤さんは「一度始めた治療でもやめることができることを明記し、『やめられないから治療を始めない』という葛藤をなくしていきたい」と語った。
シンポジウムの座長を務め、現行の3学会指針の作成委員長だった横田裕行・日本体育大教授は「社会に受け入れてもらうためにも、丁寧に議論を進めてほしい」と求めた。
4学会合同のシンポジウムは今年3月の集中治療医学会でも開かれ、指針の改訂に向けて、さらに内容を議論する予定だ。
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