「完食指導」を考える 食べられない子どもたち 反響編(下)

 埼玉県の60代の男性は小学生のころ、給食が食べられない時期があった。小学1年、3年、5年と断続的だった。

 もともと好き嫌いがあったわけでも、小食だったわけでもない。体の調子は悪くないのに、おかずをスプーンに載せて口元へ運ぶと「オエッ」とえずき、のどを通らなかった。

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学校の給食

 理由は今でも、はっきりとはわからない。ただ、物心ついたときから両親の仲が悪く、けんかが絶えない家庭だった。父にたたかれる母を見て「もう、やめてよ!」と、泣きながら2人の間に割って入ったこともある。給食が食べられなかった時期と、けんかが激しかった時期はおおむね重なる。

 母は神経質なところがあった。幼少期、母は何か新しいものを食べさせるとき、男性の口元へスプーンを運び「大丈夫かな、大丈夫かな?」と言いながら口へ入れた。子どもながらに不安になったことを覚えている。

 しつけにも厳しかった。正月に親戚の家へ連れて行かれた時も、玄関の扉を開く前に「いい子にしてなさいよ」と何度も言われた。「いい子に」とは、親戚の家ではしゃべってはいけない、正座をして座る、出されたものは勝手に食べてはいけない、などを意味していた。小学校に入学してからも、「いい子にしてなさいよ」の言葉は心に刻みこまれていた。

 家庭の状況に加え、食べられ…

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