オリンピックには近年、環境や人権問題の観点から批判的な視線が注がれています。パリ五輪はウクライナ侵攻や中東の緊張が続く中での開催となり、「平和の祭典」としての五輪の価値も問われます。スポーツと政治の問題に詳しいパリ政治学院の講師ジャンバティスト・ゲガンさんに、五輪とは何かを聞きました。
――五輪に対する批判が高まっています。その原因はどこにあるのでしょうか。
近代五輪が始まってから100年を迎えた1996年に開かれた米国のアトランタ五輪は、商業主義にまみれて、強い批判にさらされました。それ以降、五輪は巨額の開催費用を必要とするスポーツの「メガイベント」として認識されるようになりました。
欧米のような民主主義国家では、膨大な経費が発生し、それを国民が負担する場合には世論を考慮する必要があり、合意を得るのは容易ではありません。
その結果、2000年代以降、国民の批判を恐れずに大会の経費を用意できる中国のような権威主義国家が五輪を開催することで、国威発揚に使う動きが見られるようになりました。
進むスポーツの地政学化
――五輪を開催することは国家にとってどんな意味があるのでしょう。
08年の北京五輪は、中国が日本に対してアジアでの存在感を示す手段でもあったと思います。16年のリオ五輪も、開催国のブラジルにとってはスポーツを通じて新興国としての自らの台頭を世界に見せる役割がありました。
一般的に、スポーツ自体が批判にさらされることはまれです。一方で、五輪のメダルの獲得数は、国をランクづけする客観的な指標でもあります。特に権威主義国家にとってスポーツは今、国際社会で認知度を高める手段になっているのです。その結果、国際政治とも結びつき、スポーツの「地政学化」が進んでいます。
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