TBSのテレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」(1992年)で巻き起こった冬彦ブーム。遮二無二、仕事をこなす中、あこがれの世界に触れられる機会が続きます。
93年にはNHKの「私が愛したウルトラセブン」に出演しました。60年代にウルトラセブンの制作に青春をかけた群像を描くドラマで、僕が演じたのは脚本家の金城哲夫さん。子どもの頃、リアルタイムで観(み)たセブンの世界です。沖縄出身で、陰影に富む金城さんの生き方を、めいっぱい演じました。
映画「ゲンセンカン主人」では主演を務めました。漫画家つげ義春さんの世界を映像化した作品で、監督は石井輝男さん。巨匠成瀬巳喜男の助監督となり、60年代に高倉健さん主演で「網走番外地」シリーズを大ヒットさせた監督です。噂(うわさ)に違(たが)わぬ厳しい現場でしたが、僕はつげ作品の大ファンでもあり、原作を損なわぬよう必死でした。
同じ年、再びTBSのドラマ「誰にも言えない」に出演します。「ずっとあなたが好きだった」と同じ貴島誠一郎さんがプロデューサーを務め、賀来千香子さん、野際陽子さんと主な共演者も同じでした。
幸福な新婚生活を始めた女性の隣に、僕が演じる昔の恋人が引っ越してきて、やりなおそう!と奇行とともに迫ります。最高視聴率33・7%と、「ずっとあなたが好きだった」に迫る数字を記録しました。出演ドラマが2年連続でこれほどのヒット作となったことは望外のことでした。
視聴率が大切なテレビの世界では、キャスティングも重要となります。冬彦を演じる以前なら「この役に佐野はどうだろうか」と役ありきだったものが、「佐野には何をさせようか」と俳優を役に当てはめるようになった部分もあったように思います。やれるだけやるぞ、と来る仕事には全力で挑みましたが、過労には勝てません。96年の冬、体が悲鳴をあげ、腹膜炎で入院を余儀なくされました。不惑を過ぎた頃です。
テレビドラマの制作では限られたスケジュールの中で瞬時に作り上げ、納得のいくクオリティーを提示しなければなりません。そんな中、手応えを感じることができたのが並行して取り組んでいた舞台でした。
95年、劇作家の竹内銃一郎さんとJIS企画という演劇ユニットを組み、10年ほど定期的に上演していました。第1作目は「月ノ光」というカフカを下敷きにした幻想的な味わいの作品。相次いだ殺人事件におびえるチェコ・プラハに生きた奇術師を、僕は新鮮な思いで演じました。そして今年、JIS企画20年ぶりにして最後の公演「コスモス 山のあなたの空遠く」で久しぶりに舞台に立ちましたが、小劇場での公演は、原点に帰っての、俳優人生の再スタートを切る想いも湧いておりました。
山崎哲さんが演出する「春」という舞台では、安達祐実さんとの2人芝居に挑みました。実際の事件をもとに舞台を作り続けてきた山崎さんから学んだことも、実に大きかったです。
故郷ゆかりの八雲の視点
やがて2000年代を迎え、五十の坂が見えてきました。故郷、出雲の地ゆかりの古事記の神話や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904)にまつわるテレビ番組や取材が増えました。松江出身の芸能者としては、古事記や八雲作品を読んでおかなければならないと意識するようにもなりました。
なにしろ娘の名前は八雲といいます。娘が生まれた年に冬彦ブームとなったこともあり、八雲という名前のパワーを感じていました。名付けたのは妻。松江の暮らしを描いた八雲の随筆「神々の国の首都」を読んでいたので閃(ひらめ)いたのでした。
八雲のひ孫の民俗学者、小泉…