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アウシュビッツ強制収容所が解放されてから80年。収容者が銃殺された「死の壁」を訪れた男性=2025年1月28日午前9時57分、ポーランド南部オシフィエンチム、藤原伸雄撮影

【連載】証言 アウシュビッツ解放80年(6)

反ユダヤ主義が高まる中、アウシュビッツ強制収容所の生存者たちは、差別と憎しみの再来に心を痛めています。一方で、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃に対する批判も認識し、複雑な思いで見つめています。

 アウシュビッツ強制収容所を舞台としたナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は、戦後の平和を目指した国際秩序に大きな影響を及ぼしました。しかし、ユダヤ人が建国したイスラエルが、パレスチナ自治区ガザへの攻撃をめぐって「ジェノサイド(集団殺害)」との批判を受けるなど、戦争は絶えません。米ブラウン大のオメル・バルトフ教授(ホロコースト・ジェノサイド研究)は、国際秩序が揺るがされているとして、「もう二度と繰り返さない」という戦後の教訓に立ち返るべきだと指摘しています。

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 ――ホロコーストは、戦後の国際秩序にどのような影響を与えたのでしょうか。

 「第2次世界大戦におけるナチスの犯罪という広い影響をみると、まずは(非人道的にユダヤ人らを扱った)ナチスの指導者を裁いたニュルンベルク裁判を中心に、『人道に対する罪』などの新しい概念が採り入れられました。1948年の国連総会ではジェノサイド条約が採択され、ジェノサイドの定義とともに関与した国家の処罰などが定められました。(捕虜や文民の保護などをうたった)49年のジュネーブ諸条約も含め、それまで存在しなかった国際的なルールを形づくりました。さらに(国家間の紛争を解決する)国際司法裁判所(ICJ)に加え、時間はかかりましたが、個人の戦争犯罪などを裁く国際刑事裁判所(ICC)の設立にもつながりました。戦後人々が求めた『もう二度と起こさない(ネバー・アゲイン)』という思いを反映したものです」

 ――600万人ものユダヤ人を虐殺したホロコーストは、過去の他のジェノサイドと異なるものなのでしょうか。。

 「その議論はずっと続いてい…

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