白砂青松という言葉がふさわしい、豊かな自然が残る瀬戸内海の大島(高松市)。ここには、ハンセン病から回復した人が暮らす国立療養所「大島青松園」がある。

 ハンセン病の特効薬が開発されてからも国の誤った強制隔離政策が続いた歴史から、「隔離の島」と呼ばれてきた。ただ、2023年春に高松に赴任した記者にとっては、瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)の舞台という印象も強い。

 「隔離の島」に現代アートを持ち込んで、島がどう変わったのか知りたくて、大島に15年以上通い続ける1人の女性に会いに行った。

 昨年12月初旬、毎年恒例のもちつき会が大島であった。瀬戸芸に関わるメンバーらが、もち米を蒸し、石臼でつく。できあがったもちを入所者一人ひとりに渡し、マイクを傾けて感想を聞いて回ったのが、その人。NPO法人「瀬戸内こえびネットワーク」の職員、笹川尚子さん(40)だ。

もちつきを見守る野村宏さん(右から3番目)と笹川尚子さん(右から2番目)=2024年12月6日午後2時35分、高松市庵治町、内海日和撮影

 香川県綾川町出身。09年秋ごろ、初めての瀬戸芸が翌年に開かれると知り、「おもしろそう」と思って、「こえび隊」と呼ばれる瀬戸芸ボランティアになった。

 瀬戸芸を紹介する「こえび新聞」をつくるため、取材を任されたのが大島。最初はハンセン病の療養所があるということも知らなかった。

 大島の担当を続けているのは、入所者と交流するワークショップでの経験が大きい。ハンセン病が遺伝すると誤解されていた時代に、強制的に堕胎させられた女性の体験を聞き、泣いてしまった。

 しかし、別の入所者からは…

共有
Exit mobile version