葛藤の末、震災当日にお産の受け入れを決めた恵寿総合病院の新井隆成産婦人科長=2024年3月19日、石川県七尾市、土肥修一撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 能登半島地震が起きたあの日、石川県七尾市の恵寿総合病院の産婦人科長、新井隆成さん(61)は婦人科の病気で入院中の重症患者の診察のため、産科病棟にいた。

 1月1日午後4時すぎ。緊急地震速報が鳴り響き、揺れ始めた。

 真っ先に頭に思い浮かんだのは、年末に生まれたばかりの双子の赤ちゃんのことだった。

 「あの子たちを守らないと」

 新生児室にかけつけ、赤ちゃんが眠るベビーベッドに手を触れるかどうかのところで、大きな揺れに襲われた。立っていられなくなり、ベッドを抱えるようにしゃがみこんだ。

 「これは大変なことになったぞ」

 当時、病棟には妊娠10カ月の妊婦が2人、産後の母親が2人、新生児が3人、婦人科の重症患者が1人いた。

 揺れがおさまると、津波に備えてスタッフとともに最上階の6階に向かった。エレベーターは使えず、階段を使った。建物内の配管が壊れて水漏れが起き、足元は至る所で水浸しになっていた。

 「慌てないで。しっかり足元をみてね」。赤ちゃんは助産師が抱きかかえ、妊婦が転ばぬように注意しながら、新井さんの誘導で避難した。

 その後、病院の方針で、妊婦らは建物に被害のなかった、隣接する免震構造の本館に避難することになった。本館は地下水をくみ上げて使えるようになっており、水が使えた。

 産科病棟は分娩(ぶんべん)室も水浸しで使えなくなっていた。本館の内視鏡室を臨時の産科病棟にし、そこを母子の避難所とした。分娩は内視鏡室の隣にある手術室を使うことになった。

 妊婦や赤ちゃんの避難も終わり、落ち着いた午後6時半ごろ、病院に1本の電話がかかってきた。「陣痛が始まりました。受け入れてください」。東京から同県志賀町に里帰りをして、この病院で出産を予定していた山田優美さん(35)の家族からだった。

 山田さんはふだんは七尾市の…

共有