カップに続き、ナチスの紋章入りのスープ皿も見つかった。「1940年」の刻印がある=2023年6月1日、モンゴル東部、永井靖二撮影
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 モンゴル東部の国境地帯に残された旧ソ連軍の軍事遺構は何を意味するのか。東北アジアの近現代史に詳しく、「満蒙 日露中の『最前線』」「日露近代史 戦争と平和の百年」などの著書がある岩手大学准教授の麻田雅文さんに聞いた。

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――モンゴル東部の国境付近からナチスの紋章入りの陶磁器が見つかったことには、どんな意味があるのでしょうか?

 現地に数多く残っていた戦車壕(ごう)は時代を通じて形や大きさがほぼ同じなので、それだけで年代を特定するのは困難です。しかし、製造年が記されたナチスの陶器が出てきたことで、あの遺構がノモンハン事件が起きた1939年ではなく、第2次大戦末期の1945年のものだと確定できました。東欧の対ドイツ戦線にいた部隊が、実際にあそこに来ていたという重要な物証だと言えます。このようなものまで残っているのかと、現地の映像を見て私も驚きました。

――そのほかアメリカ製のコーンビーフ缶やトラックの部品なども見つかりました。

 これらの品々は、アメリカが41年から始めたレンドリース(武器貸与)によってソ連に供与された物資の一部です。実はソ連軍を物量の面でアメリカが大きく支えていて、それによってソ連軍が対日戦に勝利できた背景を示すものです。当時の日本も各種の諜報(ちょうほう)活動からレンドリース物資がソ連へ流れていると判断していましたが、それが記録資料だけではなく、現物で立証できたとも言えます。研究者はともすると文献のみに頼ってしまいがちですが、岡崎久弥さんの調査団は、文献ではとらえられない歴史的事実を現地で掘り起こしておられます。貴重な成果だと思います。

――マイセンの高級磁器のほか、いくつものベッドも見つかりましたが、こうしたヨーロッパの品物は略奪品だとみていいのでしょうか?

 恐らくそうだと思います。そ…

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