唐十郎さん主宰の状況劇場を後にした僕は、日本映画をサイレント映画から観(み)返しました。というのも映像の演技はできない、と唐さんに断じられ、ならば、と古き良き日本映画の俳優たちの演技を手本としたのです。
「東京物語」「晩春」といった名作で知られる小津安二郎作品のセリフを、よくコピーしました。小津作品のセリフは耳に心地よいのです。棒読みのように聞こえますが、抑揚もあり、深いニュアンスが織り込まれている。巨匠のすごみに感じ入りました。
そんな頃、映画への初出演の声がかかります。しかも主演です。「夢みるように眠りたい」という作品でした。しかもモノクロでサイレントの手法を用いて撮影する、というではないですか。僕の心に染みる誘いでした。
舞台は昭和30年代ごろの浅草。姫を救おうとするヒーローが活躍する未完の時代劇のラストシーンを探す探偵を演じました。探偵は振り回された末に、答えの出ない迷路のような世界に引き込まれる、という幻想的な物語です。
低予算で自主制作映画の様相ながら、スタッフ、キャストには一流の方々が名を連ね、ひとえに作り手たちの熱意に支えられた作品でした。無名だった僕は、やはり無名だった林海象監督に「昭和な顔をしている」というだけで抜擢(ばってき)されたのですが。
僕らの初心を込めた作品の公開は1986年。バブル経済でわきたつ世相とはうらはらの懐古調の作品です。けれど、それが功を奏したのかモノクロでサイレントという手法も注目され、評判が評判を呼びました。
興行成績も伸び、出演料もいただきました。そして、そのギャラは渡航費に充てました。望外なことに、ベネチア国際映画祭に招かれたのです。上映後、会場はスタンディングオベーションに包まれました。僕もおずおずと立ち上がり、応えました。
バブル経済に世間が沸き、映画界も活況を呈していました。僕も「帝都物語」(監督・実相寺昭雄)など大作への出演が続きます。「帝都物語」は、子どものころ夢中になった「ウルトラマン」を手がけた実相寺監督によるもので胸躍るものがありました。
黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」は、原爆投下前日の長崎の爆心地近くで懸命に生きた人々を描いた物語で、僕は新婚夫婦の新郎役。肺を病み、重い秘密を抱えた若者を演じました。
篠田正浩監督の「舞姫」の撮影はまだ東ドイツだった東ベルリンでありました。「ベルリンの壁」を間近に西ベルリンに宿泊しながら、国境検問所を撮影の度に通過。1カ月ほど滞在しましたが、まさかその翌年に壁が崩壊するとは思ってもみませんでした。現地スタッフたちとの仕事は、制約の厳しい東ドイツの国情を知る上でも大変貴重な体験になっています。
クーデターを狙った陸軍の青年将校たちを描いた映画「226」。カチンコが鳴る前、五社英雄監督に言われました。「自分のことだけ考えなさい」と。そう言われるほど、かえって自分が何をなすべきなのか、客観的にとらえようと集中したものです。「セリフばかりに気を取られるな。まずは自分の役の体の状態を確認し、感じろ」ということだったと思います。
横綱はむりだけど
そして五社監督に言われた…