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ロッキーズ戦の六回、54号本塁打を放つドジャースの大谷翔平=2024年9月27日、小林一茂撮影
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 ドジャースに移籍1年目でのワールドシリーズ制覇に加え、ナショナル・リーグの最優秀選手(MVP)受賞で、自らの活躍に花を添えた大谷翔平。21日(日本時間22日)は米専門局の番組「MLBネットワーク」にリモート出演し、チームメートのクレイトン・カーショーからMVPに決まったことを告げられ、笑顔がはじけた。

 「1年目だったので、しっかり活躍したいと感じていた。みなさんに評価されて、光栄というか、すごくうれしい気持ちでいます」と、受賞後の電話記者会見で喜びを語った。

 2024年シーズンを通して、「野球が楽しい」という感情を全面に表していた。

 流れを引き寄せる安打を放つと、感情を出した。味方ベンチに向かって両手を振り上げ、盛り上がれとあおることもあった。豪快なアーチを架けた後には、チームメートからヒマワリの種をかけられ、満面の笑みだった。試合が終わると、いつもユニホームは泥だらけだった。

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 昨季までプレーしたエンゼルスでは投打の「二刀流」で、世界をうならせた。ただ、6シーズンを過ごしたが、どんなに個人記録を打ち立てても、ポストシーズンには一度も進めなかった。勝利に飢えていた。

 「また違うような楽しみがあるんじゃないかな」と心を高鳴らせた新天地で、自分の働きがチームの成績に直結した。昨年、右ひじを手術し、まだ試合で投げることができない。打者に専念しての打撃タイトル2冠。指名打者で史上初となるリーグMVPに輝いた。チームの地区優勝に貢献し、自身初のポストシーズンではワールドシリーズ制覇を果たす。

 大谷は「最後まで一番長いシーズンを戦えたことを誇りに思いますし、このチームに来て1年目でこういう結果に立ち会えてすごく光栄だなと思います」と振り返った。

 「世界レベルで勝負できるような選手になりたい」

 プロ野球の日本ハムに在籍していた20歳の頃、夢を掲げていた。地元・岩手県奥州市の広報誌(15年1月発行号)の企画で市長らと対談したときの言葉だ。

 当時は日米野球で日本代表の一員として大リーグ選抜と対戦し、世界レベルを再確認したばかりの頃。「サボっている暇も遊んでいる暇もない」とも語った。

 可能な限り睡眠を取り、食事では決まった量のたんぱく質を摂取し続けた。30歳に至る現在までほとんどの時間を野球のためにつぎ込んだ。着実に野球選手としての成長曲線を描き、いまや最高峰の舞台を代表する一人としてはつらつとしたプレーを披露する。10年前に夢見た姿を現実のものとした。

 「野球大好き少年」。大谷をそう形容するのは、佐々木大樹さん(32)=日本製鉄室蘭シャークス=だ。小学生のときに2学年下の大谷を野球の道に誘った幼なじみで、いまもその活躍を見守っている。「野球に対して、すごい楽しんでるのが伝わってくる」

 移籍2年目の来季は「二刀流」の復活が待ち望まれている。一つの試合の中で思いっきり球を投げ、バットを振る姿をまた見せてくれるかもしれない。投打に制限のなくなったプレーで、チームを勝利に導けたら、「永遠の野球少年」はどれほどの喜びをあらわにするだろう。(高橋健人)

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