戦争トラウマ

 父が亡くなった、と知らされたのは9歳のときだった。

 父のウィリアムさんはその時48歳。シドニーのホテルの一室で拳銃自殺したのだという。

 オーストラリアに暮らすリチャード・モクサムさん(73)は当時、幼いながらもほっとしたことを覚えている。

 父は家で浴びるように酒を飲み、さらに町に出かけて飲んで、帰ってきては母や子どもたちに暴力を振るった。母に銃を向けることもあった。

 「父は、壊れてしまった男だった」

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 家畜と農場の管理をしていた父は、27歳のときにオーストラリア軍に入隊し、1941年にシンガポールに送られた。しかし、42年にシンガポールを陥落させた旧日本軍の捕虜となり、43年夏、ボルネオ島北東部にあるサンダカン捕虜収容所に移送された。

 サンダカンにはオーストラリア、イギリス両軍の捕虜約2500人が収容され、飛行場建設のために強制労働させられた。捕虜は重労働や栄養失調、虐待などで次々に死亡した。

 連合国軍の空襲が激しくなり、45年はじめ、日本軍は捕虜1千人以上を3回に分けて約260キロ離れたラナウに徒歩で移動させた。

 その移動は「サンダカン死の行進」と呼ばれる。

生還した捕虜は6人だけ 戦後も暴力が日常に

 オーストラリアの戦争博物館や研究者によると、捕虜たちは十分な食料もないまま山岳地帯の密林をほぼ裸足で歩かされ、多くがマラリアや栄養失調で倒れた。歩けなくなった捕虜たちは射殺されるなどした。

 この「死の行進」から逃亡した6人だけが、収容所からの生還者だという。

 モクサムさんの父は、そのひ…

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