「いいとも」出演、鶴瓶さん「新しいスターが」

 母から解放された時期と前後して、女性学研究が軌道に乗って社会活動も増えてきました。1988年、日本女性学会代表幹事に就きます。翌年、地方で結婚できない男性が増えたというので、結婚相談所の男性職員などに向けて日本青年館で開かれた「花婿学校」の講師を頼まれました。ある所長さんが「群馬じゃ男が立ち枯れしてる」と叫んでいた。女性抑圧の構造を、奴隷が櫂(かい)をこがされるガレー船になぞらえ講義しました。

 《90年、「笑っていいとも!」へ出演することに》

 花婿学校での私の講義内容を5回にわたり載せた新聞記事がきっかけで、出演依頼が来ました。バラエティーは見たことがなかったけど、花婿学校の趣旨を説明すればいいか、と気軽に受けたらとんでもないことに。

 生放送当日。スタジオの新宿アルタに行ってみたら「花婿アカデミー」と大書されていました。司会のタモリさんや笑福亭鶴瓶(つるべ)さん、ウッチャンナンチャン(内村光良さん、南原清隆さん)は、私がフェミニズムのことをまじめにしゃべるたびにちゃちゃを入れてくる。私はちゃかされる役割だったんですね。

写真・図版
「番組で『男はなんで足をかっぴらいて座ってんの』と言ったら、帰りの電車でこっちを見た男の子たちがこそこそと足を閉じたの」=東京都内、杜宇萱撮影

 彼らのことはよく知らなかったので、「つるべいさん」とか「ウンチャンナンチャン」とか言い間違えるたびに笑われる。カッとなって、水差しの水をかけてやろうかと身構えたところで、番組は終わりました。鶴瓶さんは「新しいスターが誕生しました」と言っていたけど、こっちは悔しかった。

 でもアルタを出ると、「キャー!」「田嶋先生!」と手を振ってくる女性たちがいる。帰宅して夕食に出かけたら、高校生の女の子たちが「今度は何言うの?」と話しかけてくる。

 一方で、大学時代の指導教官からは「あんな番組に出て笑いものにされて!」と叱られて絶縁されました。身近な人からの冷たい反応と、視聴者からの「よく言ってくれた」という熱い応援との間で、戸惑っていました。

【初回から読む】田嶋陽子さん、母からの抑圧と研究の原点

 英文学・女性学研究者の田嶋陽子さんが半生を振り返る連載「わたしが生きたフェミニズム」。全4回の3回目です。

テレビの向こうの視聴者へ

 1991年からはテレビ朝日「TVタックル」に出演することになりました。スタッフから「女性差別に対して言いたいだけ言っていい」と繰り返し話を持ちかけられたからです。

 《ビートたけしさんとの「男もパンツを洗え」という激しいやり取りが語り継がれる》

 「男はパンツを、女はパンを…

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