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「山形はエネルギーを充電するところ」と語る橋本マナミさん=2024年12月21日午前10時50分、山形市、安斎耕一撮影
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 「愛人にしたい女性」という刺激的なキャッチコピーでブレークし、現在は結婚して2児の母親となったタレントの橋本マナミさん(40)。デビュー当初は清純派として売り出したが、なかなか芽が出ず長い下積み時代を過ごした苦労人でもある。「キャラ変更が浮上の転機」と語る橋本さんに、夢をかなえるヒントを聞いた。

夢をかなえた、夢に向かう、夢を与える……。そんな東北にゆかりある人たちの活躍を、ロングインタビューでお届けします。

 ――デビュー前、山形市で過ごしていた時はどんなキャラだったのですか。

 「内気で人前に出るのがすごく苦手。おとなしい感じの子どもで、それがコンプレックスでした。小学6年の時、身長がすごく伸びたのを見た担任の先生から『これだけ背が高いのだから、もっと人前に出るといいよ』と言われ、マーチングの指揮者や運動会のスターターなどいろんな役に抜擢(ばってき)してくれた。できるだけ目立ちたくないのにと思っていましたが、人前に立ってみると歓声や拍手がうれしくて、それが快感になりました」

 ――そうした経験が、芸能界を目指すきっかけになったのですね。

 「自分のおとなしい性格やコンプレックスの殻を破りたいという思いがあったかもしれません。中学1年の時、新聞の隅にあった劇団や芸能事務所の募集記事を見つけて、両親に応募したいと言ったんです。でも両親からは大反対されました。『性格も向いていないし、芸能界は怖い世界だから』って」

 「ちょうどその頃、テレビで『全日本国民的美少女コンテスト』が5年ぶりに開催されると盛んにやっていたんです。大手の芸能事務所が主催するコンテストだったので、両親も賛成してくれ、応募することにしました」

 ――応募者が約15万人にものぼるコンテストでした。

 「まさか受かると思っていませんでした。父親は本選の途中で山形に帰ってしまったくらいです」

 「コンテストでは演技部門賞をいただきました。女優志望で応募していたのでうれしかったですね」

写真集発売、イベントやっても5人だけ

 ――受賞を機に芸能界デビュー。しかし、順風満帆ではなかったようですね。

 「当時は清純派を目指して活動していました。美少女コンテスト出身だったので、最初はいくつかCMに出たりとすごく仕事がありました」

 「でも、仕事は空回り。不器…

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