長谷川宏さん=埼玉県所沢市、篠田英美撮影

 《1969年10月、東京大学で最後までストライキを続けていた文学部でも授業が再開され、暮れには学生自らバリケード封鎖を解除した。のちに長谷川さんは「観念的抽象的な拒絶や抵抗」が秩序に容赦なくのみこまれた、と総括する文章を書いた》

 敗北の「暗渠(あんきょ)にはつよいひかりがあてられねばならない」とか、いま読むと恥ずかしいですね。気負った文章で。

哲学者・長谷川宏さんが半生を振り返る連載「持続する問い」、全4回の3回目です。(2024年4~5月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)

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 東北大学から講師の職で声をかけてもらいましたが、大学の外で研究することを決めました。30歳になる年、新たな一歩を踏み出そうと思った。このとき結婚した妻も大学院に未練はなく、中退して保育士をめざすことになりました。

 それで埼玉県所沢市に引っ越し、大学院の友人、天野衛と2人で塾を開いたのです。雑木林の残る静かな住宅地。「赤門塾・生徒募集」というチラシを配ると、幸いすぐに生徒は集まり小中学生に教え始めました。

埼玉県所沢市の自宅周辺。緑豊かな風景は半世紀前とあまり変わらないという(撮影場所は所沢市と東村山市の境界)

 《当時、運動に敗れ、各地に散った若者たちは、予備校や塾の他、農業や福祉の仕事に飛び込む者も少なくなかった》

 世間からみれば落ちこぼれ…

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