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A-stories「ネットと災害」

 2011年3月11日の東日本大震災。ツイッター(現X)への1本の投稿が人命救助につながった。

「今でも涙が」

 宮城県気仙沼市の気仙沼中央公民館の屋上に、内海直子(71)は、近くの保育園児や住民ら446人と一緒に避難していた。

 内海は震える指で家族にメールを打った。「火の海 ダメかも がんばる」。メールを見た英国在住の長男(44)がツイートした。

 「私の母が(中略)公民館の3階にまだ取り残されています」「子供達(たち)だけでも助けてあげられませんでしょうか」

 その頃、東京都庁では副知事(当時)で作家の猪瀬直樹が地下鉄の再開状況をツイートしていた。印字した返信の束から、この投稿に目をとめた。「(いつどこで誰がなどの)5W1Hが140字に詰まっていて、目の前に見えるようだった」

【特集ページ】ネットと災害 30年史

1995年の阪神・淡路大震災から昨年の能登半島地震へ。進化したインターネットは命を救う役割を果たす一方、偽・誤情報を拡散させる弊害も生み出しました。30年間に起きた災害でのネット上のやりとりを追いながら考えます。

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震災による火災で、気仙沼市魚市場の屋上に避難した人たちにも炎が迫った=2011年3月11日

 テレビは気仙沼市内が火に巻…

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