今日も、家から一歩も出なかった。
つけっぱなしのテレビを見るか、窓の外の街の風景を眺めるしかない中、曇り空を旅客機が低空で飛んでいく。
「今日はこれで五つ目ね」
柴崎俊子さん(97)はつぶやいた。
東京都心のど真ん中、3年前の五輪のメイン会場だった国立競技場近くの都営アパートに独りで暮らす。近所に知り合いはほとんどいない。
「隣に住む人も知らないのよ。一日中ひきこもるのは苦痛だけど、どうしようもない。『孤立』、よね」と、かつての生活を懐かしんだ。
下町・深川で生まれ育ち「大の祭り好き」。みこしを担ぐのが生きがいの社交的な性格だった。
1951年、都職員の夫と結婚。今の自宅近くの都営住宅に移り住んだ。59年、1964年の東京五輪開催が決まる。整備計画のため、都営住宅は翌年解体。3~5階建てアパート10棟の「都営霞ケ丘アパート」(新宿区)が建った。
柴崎さんら住民や近隣に住む人たちが入居し、濃密なコミュニティーを形成していった。夏祭りに運動会、新年会。イベントも豊富だった。集会所に行けば、いつでも友人に会えた。
半世紀がたち、住民は高齢化。足が弱いお年寄りのため、青果店の店主が部屋まで食料品を運ぶ。そんな助け合いで、生活を支えていた。
「終のすみかと思っていた」
2012年夏、「国立競技場の建て替えに伴う移転について」と書かれた文書が突然、都から配られた。五輪招致が閣議で了解された翌年だった。
230世帯の住民の一部からは反対の声も上がった。柴崎さんも「終(つい)のすみかと思っていたのに……」と嘆いたが、3年後に解体が決まった。
「こちらが用意した都営住宅が気に入らないなら、ご自分で一般の住宅を探して下さい」
最後まで立ち退きにあらがった一人、菊池浩一さん(91)は、都の職員のそんな言葉が忘れられない。
A-stories 合わせ鏡のオリンピック 東京とパリ
7月にオリンピックの開幕を迎えるパリと、3年前に開催した東京。二つの都市から見えてきた、オリンピックの足元に広がる理想と現実を連載でお伝えします。
「こんな年寄り、入れてくれ…