連載「1995年からの現在知」

 2010年代、学生だった私は、渋谷で多くの時間を過ごした。ライブハウスでアルバイトをしながら、週末は友だちと映画館に行った後、喫茶店や公園で長話をした。

 19年に入社し、4年間の地方勤務を経て、23年から渋谷に住み始めた。慣れ親しんだ街に戻ったつもりが、たった4年間のうちに宮下公園の跡地に商業施設が建ち、ハロウィーンや路上飲酒は厳しく規制されていた。

 かつて「若者の街」と呼ばれた渋谷。いまは治安や平穏のために、若者が自由を謳歌(おうか)できない街になったのだろうか――。

 国学院大学の吉見俊哉教授に率直に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「間違いではないと思う。けれども、僕の考えは少し違います」

 社会学の大家は、いまの渋谷をどう見るのか。江戸時代からの変遷をたどりながら、たっぷり語ってもらった。

 1995年から30年が経ち、「若者の街」の象徴だった渋谷は大きく変わりました。果たして、若者の街であり続けられるのか――。吉見教授は「もう、車道拡張の時代は終わっています」と説きます。

 ――ここ数年、渋谷ではハロウィーンや路上飲酒が厳しく規制されるようになりました。

ハロウィーンでにぎわう渋谷を、警察官らが取り締まっていた=2024年10月31日午後8時45分、平岡春人撮影

 1970年ごろの新宿西口と、よく似たことが起きていると思っています。

 渋谷では「100年に一度」と掲げた大規模な再開発が進んでいます。この再開発は明らかに企業が主要ターゲットです。駅前に巨大なビル、特にオフィスビルが次々と建てられている。もちろん、部分的には若者の文化を巻き込もうとしているのでしょうが、企業オフィスを誘致できればどうにかなるのが今の再開発です。

 新宿西口では60年代、フォーク集会や反戦運動などのカウンターカルチャーが盛んで、新宿西口広場に若者が集まりました。69年、この広場を警察が「通路」だからと、集まっていた若者たちを、道路交通法を根拠に排除した。

 そのころの新宿西口でも、超高層ビルの大規模な開発が進んでいました。現在の渋谷のように、新宿もかつて丸の内や大手町のようなオフィス街を目指したのです。資本が集積するオフィス街は、機能性を保つために、不安定な存在を排除する方向に走ります。

 当時の新宿西口や現在の渋谷における治安対策の背景には、大企業中心の資本主義の論理があるというのが、私の考えです。

 ――かつて新宿にいた若者たちは、やがて高円寺や中野、下北沢へと散っていきます。渋谷の若者も散っていくのでしょうか。

大規模な再開発が生む「廃虚」

 当然のことですが、大規模な…

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