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様々なジャンルの「プロ書き手」によるニュースレターが配信される外部媒体「theLetter」で2024年8月27日に配信された記事です。

 瞬く間に夏が過ぎ去っていき、花火のシーズンも終わりを告げようとしています。この夏は10個の花火にいき、そのうち七つほどは撮影に成功しました。経験上、これはすごくまれなことで、大体毎年の夏の花火撮影は、10個のうち5個は失敗、悪いときは七つくらい失敗という年もありました。今年は運にも天候にも友人たちにも恵まれた結果、成果が多かったように思います。本当はあと三つほど行く予定で、そのうち一つは今週末の大曲の予定だったのですが、どうもさすがに天候がやばそうで諦めなきゃいけないかなあと、ちょっとだけ憂鬱(ゆううつ)な気分でおります。まだ夏を追えたくないんですよね。これが終わったらモンハンワイルズまで気絶する予定なので、もうちょっと人間でいたいのです。

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写真家・別所隆弘さんのレターから

 さて、今日のタイトルは少しだけ刺激的ですね。写真家になるということ、という話。まずは結論を書いておくと「本当はわからん」のです。僕はたまに写真家と呼ばれるんですが、自分を写真家であると考えたことはあまりありません。ギリギリ自分を「クリエーティブに関わる人間」くらいの認識でいるのですが、花火を撮り終わったら気絶してモンハン(ゲーム「モンスター・ハンター」)まで寝ようと思っている人間は、多分写真家ではないと思うんですよね。いや、それはさすがに冗談なんですが(冗談であって欲しいのですが)、「どうやって写真家になったの?」と問われても、いつの間にかなっていて、自認としては「写真家ってなんだろう?」くらいの気持ちなんです。

「theLetter」とのタイアップ企画

様々なジャンルの「プロ書き手」によるニュースレターが配信される「theLetter」と朝日新聞がタイアップして、一部コンテンツを配信します。この連載では写真家で文学研究者である別所隆弘さんの写真への思いなどを記した記事を配信します。

 ただ、一つわかっていることがあって、写真家にせよフォトグラファーにせよ、そういうふうに言われる人たち(多分僕もそこに含まれるんですが)は、誰にせよ「あの人はああいう写真撮っているよね」って即座に思い出せる個性を持っているってことなんです。自認はどうあれ、「別所の写真どんな感じ?」って言われたら、皆さんの頭の中にいくつか傾向が出てくると思うんですよ。それを持っている人たちが、多分写真家なんだろうなと。そしてそれは一般的には「個性」とかって言われるんですが、もうちょっと解像度を高く言語化すると、写真家と呼ばれる人たちは「自分の写真の定義」を目に見える形で行っている。そして自分の写真を、他者の類似の写真から区分けするポイントを持っている。意識的にせよ無意識的にせよ、「誰かの模倣」「何かの模倣」「ある傾向の模倣」から離脱して、「自分の色、構図、光」を持っているんです。そしてそれを作品を通して絶え間なく「定義づけ」している。その人たちが「写真家」であり、それができるということが「写真家である」ということになります。

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写真家・別所隆弘さんのレターから

 だから、というわけでもあり…

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