中部空港(愛知県常滑市)が17日、開港から20年を迎えた。世界最高水準のサービスを誇る、国内初の本格的な民間空港は、どのように誕生したのか。初代社長の平野幸久さんに聞いた。

開港初日、中部空港の「スカイタウン」は、大勢の人々でにぎわった=2005年2月17日、愛知県常滑市

建設費の削減目標は「えいや」で決めた

 《1998年に社長に就き、建設段階から関わった。国が示した7680億円の総事業費は、設計変更や発注の工夫を重ね、約2割削減した》

 本当は引き受けたくなかった。空港はまったく素人だ。専門家に聞いても、事業費や(2005年の万博までに開港するという)工期も「難しい」と言われた。

 もとの事業費ですら、どんどん需要が増えるのを前提にしたものだった。そんなことはあり得ない。でもよく分からないから、まずは、えいやと10%下げようという目標をつくった。

 達成できる見通しが立ったので、「じゃあもう10%だ」と言ったらすごいブーイング。その中には、トヨタ自動車からの出向者もいた。「じゃあ開港まで寝て過ごすのか!」なんて言ってね。結局達成できた。

午前9時から空港をぶらぶら

 空港建設の経験など、ほとん…

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