赤ちゃんのころのカーリさん。ドイツに送られる前、ノルウェーの施設で撮影されたものと思われる。カーリさんがノルウェー国立公文書館から取り寄せた中に写真があった=カーリ・ロースヴァルさん提供

 アイルランドに住むカーリ・ロースヴァルさん(80)は、スウェーデンで養子として育った。

 カーリさんの最初の記憶は3歳。身寄りのない子どもたちが暮らす施設に養父が来たときのことだ。優しいまなざしに思わず抱きついた。いまでも忘れられない幸せな記憶だ。

 スウェーデン南部の村で農場を営んでいた養父も養祖母もとても可愛がってくれた。養母は温かくておいしいご飯を毎日用意してくれた。

 養父に会うまでの記憶はない。引き取られたときにはスウェーデン語を話すこともできなかった。どこで生まれたのか、どこから施設に来たのか。養父母も知らないようだった。

 出自の知れない子を引き取った養父母には冷ややかな視線が向けられた。カーリさんも学校でいじめられた。養父はそのたび、毅然(きぜん)と対応してくれた。

 「養父のぬくもりが、私にとって帰るべき家であり、ずっと人生の支えでした」

 1961年、17歳のときに働くため、近くの町に出た。看護助手の面接を受けるために取り寄せた自身についての書類の中に「出生地 ノルウェー」の文字があった。驚き、移民局に問い合わせた。何度も交渉し、ようやくその情報が赤十字から来たものだと分かった。

 4年後の春、ときおり頭をもたげる疑問に耐えきれず、赤十字に手紙を書いた。夏になり、1本の電話がかかってきた。生みの母がノルウェーに存命で、生物学上の父親はドイツ人だと知らせる赤十字からの電話だった。

母をたずねて

 私はどこから来たのか。いったい誰なのか。

 国境を越え、訪ねた。初めて…

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