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阪神大震災から1週間が過ぎた1995年1月25日。17歳の日系人の少年が曇り空の成田空港に降り立った。
常夏のカリブからやってきたばかり。「骨まで凍り付きそう」。寒さに身をすくめた。
大きなスーツケースを引きずり、生まれて初めて満員電車に乗った。後ろから人を押してやっとドアが閉まるほどの混雑は衝撃だった。
「これから何が起きるんだろう」。父祖の地を踏みしめた感動と、自分の人生への期待と不安が入り交じっていた。
「日本へ」背中押した父
向かった先は、親戚がいる神奈川県愛川町。東京・新宿で電車を乗り換え、バスも乗り継いで3時間以上かけてたどり着いた。
愛川町は、県北西部の丹沢山地のふもとに位置する。母国のように道ばたで音楽を鳴らしている人はおらず、静かだった。
目に入る光景は故郷の山間部とどこか似ていて、気分が落ち着いた。
カリブ海に浮かぶ中米のドミニカ共和国。日本と国交を樹立してから昨年11月でちょうど90年を迎えました。日本から多くの移民が渡った同国のいまの駐日大使は、初の日系人。10代から20代にかけ、神奈川県の山間部のトラック工場で「外国人労働者」として10年働き、その支えが鹿児島県出身の父の教えだったという彼の半生をたどります。
その少年、高田ロバートさんはドミニカ共和国中部のコンスタンサ市に生まれた。家業の農業を手伝いながら、哲学を学んでいた。聖職者になる夢を抱いたが、結婚できないことなどから諦め、将来に悩んでいた。
そんな時、父の鉄哉さんから提案された。「考えを整理するために日本に行ったらどうか」
■9歳で「カリブの楽園」へ…