地方都市の中心部から数キロ離れたその場所は、鳥のさえずりが聞こえるほど静かだ。

 「住所や兵士の実名は秘密、建物の撮影も厳禁だ」。待ち合わせたジョン(26)と名乗る男性に忠告された。

 昨夏、記者はミャンマー内戦を戦う武装勢力の兵士が身を寄せる「療養センター」の取材を許された。場所は、隣国タイ北部の住宅街にある2階建ての一軒家。松葉杖や車いす姿の若い男性がうろついていた。

上半身を鍛える負傷兵。右足を負傷したためギプスをつけ、普段は松葉杖を使って生活している=2024年7月、タイ北部

 建物にいたのは、タイ国境に接する東部カヤー州で国軍と戦った負傷兵だった。脚の粉砕骨折や半身不随。治療を要する重傷者ばかりだ。

  • 【そもそも解説】国軍のクーデターから4年、ミャンマーでいま何が?

 ジョンもそう。2021年9月、民主派武装勢力・カレンニー国民防衛隊(KNDF)に入った。

 敵を待ち伏せていた時だった。

 「来た」

 車両を銃撃しようとした瞬間、敵の砲撃が右後方から直撃。取材中にマスクを外した顔には10センチもの傷が残り、歯も8本失われていた。

 負傷兵らの素性は学生や公務員、農家という普通の若者だった。武器を手にすることさえも初めてだった彼らを戦争に向かわせたのが、21年2月1日のミャンマー国軍のクーデターだ。それから4年が経つ。

ミャンマー東部カヤー州の位置

 ミャンマーでは長い軍事政権時代から、11年の民政移管後に民主化の道を歩み始めた。だが、クーデターに市民が反発し、KNDFをはじめとした民主派勢力が国軍に武力で抵抗し始めた。少数民族の武装勢力も国軍と戦闘を開始し、国は泥沼の内戦に陥っている。

 ミャンマーは135の民族がいるとされる多民族国家だ。国軍を主に構成するビルマ族が多数派だが、カヤー州には少数民族が暮らす。

 少数民族カヤン族のジョンは山深い村の出身で、もとはカトリックの神学生。クーデター後は反国軍デモに参加した。神父からは「祈ることが最大の武器だ」と諭されたが、「より激しい抵抗が必要だ」と武器を持った。

泥沼の内戦…きっかけは国軍のクーデター

 KNDFは多くが少数民族出身。負傷兵らは「国軍から抑圧された」という過去を明かした。「父が国軍の荷物持ちとして徴用され、本業の仕事ができず貧困に苦しんだ」「友人が国軍に理由もなく殺された」

ミャンマー国軍のクーデターから2月1日で4年。国の情勢が好転する兆しはありません。記事後段では、KNDFをまとめるリーダーが登場します。彼らがめざす未来とは。

 ジョンは言った。「自由も尊厳も人権も……国軍支配下では永遠に手にできない。この歴史を終わらせる時だ」

 センターには寝室が五つあり、20人ほどが暮らす。設立後の2年間で約60人が療養し、ミャンマーへ戻っていった。

ここから続き

 彼らは器具で上半身を鍛えた…

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