2009年、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設をめぐり、民主党の鳩山由紀夫代表(当時)は「最低でも県外」と発言し、同飛行場の県外移転を公約に掲げた。鳩山政権のもと、米側もいったんは06年に「V字形滑走路」の現行案で合意した日米合意の見直しに取りかかった。

 ただ、この経験は、米側には「苦い記憶」として残っている。

 「残念だった。振り出しに戻ってしまったからだ」

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取材に応じるグレグソン元米国防次官補=ワシントン、清宮涼撮影

 当時、米国防次官補を務めたウォレス・グレグソン氏は取材に対し、鳩山政権から「日本政府は辺野古の移設計画を見直すことにした」と伝えられた当時の心境をこう振り返る。

 鳩山政権の提案に、「(米側としては)対応するしかなかった」とグレグソン氏は言う。米側は日本側の呼びかけを受け、日米の作業部会を立ち上げ、代替案の検討を進めた。「あらゆる案を調べた」というグレグソン氏。米軍嘉手納基地(沖縄市など)に統合する嘉手納統合案といった、過去の案も再び検討された。だが、どれも実現可能性の観点から立ち消えになった。勝連(かつれん)半島沖を埋め立てる案も検討されたが、日本側が却下したと語った。

■辺野古の現行案、政治的に「…

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