太平洋戦争末期、日本は米軍の攻撃で多数の輸送船を失い、海上には多くの機雷が浮かんでいた。そのため物流や人の移動で、鉄道の重要性はますます高まっていた。だが、それは空襲の標的になることも意味した。全国各地の鉄道施設に、今も残る戦争の痕跡を探した。
①終戦前日の爆撃で500人以上死亡 岩国駅周辺
岩国駅(山口県岩国市)周辺に広がる黒い点。約80年前の1945年8月14日、米軍が投下した500ポンド爆弾が爆発してできた穴だ。太平洋戦争の終戦前日だった。
この日の空襲で517人が死亡(岩国市史)。鉄道の利用者も多数、犠牲になった。
岩国駅のある国鉄(現在のJR)山陽線は、当時から物流の大動脈だったため、米軍のターゲットになった。
- 終戦当日まで空襲はなぜ続いた? 米軍側「大きなフィナーレを」
国立国会図書館が所蔵する米軍の「作戦任務概要」によると、この日108機のB29爆撃機が計約700トンの爆弾を岩国駅周辺に投下した。爆撃の結果については「excellent results(優れた成果)」としている。
②機銃掃射の跡 神戸・三ノ宮駅
神戸市のJR三ノ宮駅の高架には、米軍機による機銃掃射によってできたとされる穴がある。
南側にめくれており、駅のある北側から攻撃されたと見られる。
全国各地の駅や関連施設では、機銃掃射を受けた跡などを、今も見ることができる。
太平洋戦争末期、各地で被害を受けた鉄道。広島では路面電車が被爆しましたが、戦後修復され、一部の車両は再開発が進む広島駅前を今も走ります。一方で沖縄では「ケービン(軽便鉄道)」が沖縄戦で破壊され、そのまま消滅しました。各地の鉄道に残る「戦跡」を紹介します。
■③機関庫への弾痕 大分県玖…