「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」の世界遺産登録20周年を記念するシンポジウムが7日、和歌山県九度山町であった。神仏が習合した熊野信仰、山岳信仰の流れをくむ吉野・大峯の修験道、そして仏教の一派である真言密教が山岳信仰を取り込んだ高野山。それぞれの代表格が、互いに絡み合う歴史を振り返り、未来に向けての課題を語り合った。
パネリストは、熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)宮司の九●(●は鬼の上の「ノ」がない)家隆さん、修験教団の一つである天台寺門宗総本山三井寺(大津市)のトップ(長吏(ちょうり))の福家俊彦さん、高野山真言宗総本山金剛峯寺(和歌山県高野町)で高野山執務公室長を務める藪邦彦さんという顔ぶれ。コーディネーター役は庶民信仰史が専門の歴史学者で九度山・真田ミュージアム名誉館長の北川央さんが務めた。
九●(●は鬼の上の「ノ」がない)さんは、熊野から勧請された社(やしろ)が全国に4700社もあることを紹介。沖縄にまで分布しているのは、仏教の教えに基づいて那智の浜から船を出して南方を目指した補陀落渡海(ふだらくとかい)と関連している、とし、長らく神仏習合の聖地だったことを論証した。
さらに「もともと日本人が持っている魂そのものが熊野、高野、そして修験道にある。20周年を機に、歴史を重んじながらも、歴史で終わることなく、次の時代に向けてのステップにしていかなくては」と語った。
福家さんは、平安後期に上皇が熊野に行幸した際に先達を務めたのが三井寺の僧だったことなどを挙げ、熊野三山に対する信仰と、三井寺を根本道場とする「本山派修験」との間に、歴史的に密接なつながりがあることを説明した。
「経済合理性だけを追い求め、目に見えないもの、エビデンスがないものを排除して社会制度を設計したら、紛争や戦争が起きかねない。それを調停していくのが、私たち『山の宗教』の役割ではないだろうか」と強調した。
藪さんは、高野山真言宗を始めとする密教の本質について「何一つ否定せず、存在を認めるというのが大原則」と語る。多くの戦国武将たちが高野山奥之院に墓碑を建てたのはなぜか、という問いを立て、「戦乱の悲しみも怨念も、全て受け止めてあげますよ、という場がそこにあった」との解釈を示した。
そして、「全国を行脚して弘法大師信仰を広めた『高野聖』の現代版がSNSによる拡散だが、その発信力も地元で守る人がいなければ実ることはない。信仰の道を後世に伝える使命を果たしていきたい」と結んだ。