今年は元日に能登半島地震が発生し、豪雨による被害も各地で頻発しています。来年1月には阪神・淡路大震災から30年の節目を迎えます。朝日新聞が9月に開いた「あすへの報道審議会」で、災害報道の意義や課題について、パブリックエディター(PE)と記者たちが話し合いました。

※この会議は、能登半島豪雨の前の9月14日に行われました。本文・図表中の肩書は審議会当時のものです。

  • パブリックエディターとは

 荻原千明・金沢総局次長 能登半島地震が元日の夕方に発生し、その日の夜に帰省先の福井から金沢総局に入った。当時は大阪社会部記者で、総局では記事のまとめや現場の記者の後方支援を担当した。

 まず問題となったのは被災地へのアクセスだ。普段は金沢から奥能登まで2時間半だが、道路網が寸断され、当日はたどり着けなかった。現場に向かった記者からは「土砂崩れで進めない」「満タンで行ったが大渋滞でガソリンがなくなりそう」との連絡が相次いだ。行政も混乱していて、被害の全容が把握できなかった。

 最初に記者が石川県珠洲市役所に着いたのは2日昼前。ホワイトボードに書き込まれた家屋倒壊や救助要請の状況から、多くの人命に関わる災害だということを実感した。

「被災地に入るなら、いい仕事をする覚悟が必要」

 今村久美PE 私が代表を務める認定NPO法人カタリバは発災直後に現地で子ども支援の居場所を開設した。私も4日に珠洲市に入った。渋滞を作っているのは報道機関も私たちNPOも同じ。それでも被災地に行くならいい仕事をする覚悟が必要だ。私たちは災害時に子ども支援にあたる専門チームを組織していて、東日本大震災以来の活動実績もある。被災地を取材するなら、日頃からの準備が不可欠だ。

 荻原 取材拠点に立ち寄らず、急いで直接現地に向かったグループもあり、発災直後は寝袋や簡易トイレなど装備面で課題を残した。本社を中心に宿泊先やキャンピングカーの手配を進め、取材態勢が徐々に整った。

心ゆさぶられる出来事、「記者ノート」につづる

 上田真由美記者(能登駐在) もともと地域に住んで地域のことを書きたいと考えていたこともあり、本社が能登駐在の希望者を募った際に手を挙げた。4月に東京本社の文化部から赴任し、今は輪島に住んで5市町の取材を担当している。地元の記者だからこそ気づくことを大事に、埋もれている声をじっくり聞き、書こうと思っている。

 被災地では、一般的なニュース原稿からはこぼれ落ちてしまう、でも心が揺さぶられる出来事がある。そうした話を記者の一人称で、私と金沢総局員で連載「with NOTO 能登の記者ノート」に書いている。

 藤村厚夫PE 地域取材網が縮小し、被災地発の報道をいかに持続させるかが課題になっている。そうしたなか、「記者ノート」には人数が少なくてもできることがあると感じさせられた。

  • 連載「with NOTO 能登の記者ノート」はこちら

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 千種辰弥・大阪社会部記者 1月7日から金沢総局で原稿のまとめなどを担った。これまで阪神大震災の被災地を取材し、東日本大震災の企画にも関わったが、能登では発災直後から多くのNPOが現地で活動しており、阪神大震災からの30年で、災害ボランティアが社会的に定着したと感じた。一方、避難所では「体育館で雑魚寝」という阪神大震災時と変わらない光景も見られた。

「海外の先進事例を報じるだけでなく、なぜ日本でできないか提示して」

 佐藤信PE イタリアではベッドやキッチン、トイレがすぐに被災地に届くという記事を読んだ。台湾では公的機関と民間のLINEグループが発災直後から機能し、迅速な被災者支援につながったという。事前準備が必要なことを物語る事例だ。

 こうした海外の先進例を紹介するだけでなく、日本でできない理由や、どうすればできるのかを提示することが問題の解決につながる。

 また、被災地は通信環境が悪くなりがちだ。能登半島地震の際に配信された「不安行動起こす子は抱きしめて」という記事のように、とるべき行動が見出しだけですぐに分かる記事が大事で、無料域に置く配慮も必要だ。

  • 「不安行動起こす子は抱きしめて」 妊婦や乳幼児連れの避難の注意点
  • 災害時に役立つ情報をまとめた「災害INFO」はこちら

「住民が描く未来像、伝えて」

 上田 定期的に複数の集落にお邪魔して、草刈りをしたり、泊まり込みで会合に参加させてもらったりしている。能登半島地震は人口減が進む地域を襲った災害で、各集落が自らの将来像を考えているが、方向性も議論の進み具合も様々だ。

 岡本峰子PE 人口減や高齢化が進んでも住民どうし助け合う力が残っている地区もあるし、伝統を守っているからこその強さもある。住民が自ら描く未来像をメディアが伝えることは重要だ。

 千種 人口減が進む能登の姿は多くの地方の将来の姿でもある。災害で顕在化した問題が復興の過程で解決できれば、他地域のヒントにもなる。

災害報道「自分ごと」として受け止めてもらうには

 千種 災害報道は発生直後は注目されるが、復旧や復興のフェーズに移ると関心が下がる。どうしたら読んでもらえるかは大きな課題だ。

  • 25年前、もしもスマホがあったら 1.17を追体験

 峯俊一平・東京社会部次長 特集企画「災害大国」で防災情報を提供しているが、意識しているのは、大多数の災害未経験者に災害をどう「自分ごと」として受け止めてもらうかということ。身近に感じてもらおうと、マンガや地図などのグラフィックも使っている。

  • 連載「災害大国」はこちら

 藤村PE 図表など紙面での工夫は評価できるが、デジタルではそのインパクトが弱い。紙の一覧性をスマホでも体感できるよう、さらなる工夫が必要ではないか。

 荻原 大学の授業に招かれて被災地取材の話をした際、学生から「被災地に関心を持ち続けなければいけないのか」と聞かれた。厳しい状況を伝える災害報道を見続けるのはつらいと。一方、戦災で苦しむガザの若者が「小麦の値段がこれだけ上がった」などとSNSで伝える姿には関心が持てるという声も。若い世代にも伝わる報じ方、届け方を考える必要がある。

 加えて、被災地での取材の様子を伝えるのも必要だと思う。能登半島地震をテーマにした社のオンラインイベント「記者サロン」(https://www.asahi.com/eventcalendar/archives/ )に3月に出演した際、取材拠点のキャンピングカーから中継した。記者が寝泊まりや洗濯をどうしているかも伝えると「知らなかった」と反応があった。

 佐藤PE 被災地に入ることの難しさも含め、記者の「身体性」が感じられる記事を読みたい。読者の代わりに足を使って取材している姿を示すことで、記事のリアリティーや信頼性が高まる。

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 峯俊 8月に南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が初めて発表された際の読者の反応をみると、自分の地域がどうなるかが大きな関心事だと改めて感じた。紙面にQRコードを入れて、臨時情報の対象の707市町村名が分かるようにした。

 岡本PE きめ細かく情報提供すべきタイミングだった。デジタル特集「南海トラフ地震の被害想定」は各地の被害想定を詳しく示している。紙面やデジタルでもこの特集に誘導するQRコードやリンクを付ければ、より読者に役立った。

  • 南海トラフ地震の被害想定はこちら

 宮山大樹・コンテンツ編成本部次長 「被害想定」には予想以上のアクセスがあった。能登半島地震では、動画を含めたビジュアル重視の見せ方を初動段階でうまくできなかったのが反省点だ。デザインや取材の部門とのさらなる連携が必要だと感じている。

災害報道、「だれにどう届けるか」考え抜く努力を

 今村PE 「届く記事」にするための工夫を真剣に考えるべきだ。例えば、読者が撮影した動画を投稿してもらう態勢を整えては。震災の検証記事では行政の批判ばかりではなく、うまくいった点も報じてはどうか。各自治体で学びあえる。

 藤村PE 災害報道を広く読んでもらうにはインスタグラムやユーチューブなど社外のシステムをもっと活用するべきだ。個々の記者が「記事を書いて終わり」ではなく「誰にどう届けるか」まで考える努力を重ねることで、被災地でのささやかな出来事であっても、全国に届く可能性があるのではないか。

 坂尻顕吾・執行役員編集担当 かつてのような人員を地域取材網にあてることが難しくなっているのは確かだ。ただ、被災地の実情や復旧復興のプロセスを伝えることにはこだわり続けたい。コンテンツの届け方の見直しも進めながら、被災地と社会全体をつなぐ役割を現場の記者たちと果たしていきたい。

(司会は青池学・PE事務局長)

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春日芳晃・ゼネラルエディター兼東京本社編集局長

 ジャーナリズムの根幹には記者の情熱と問題意識がありますが、災害報道では「被災者が求めている情報か」「未来の減災につながるか」という羅針盤を失わないようにします。同時に、動画やインフォグラフィックを駆使して「届く記事」にする工夫を凝らします。PEの指摘を受け止め、編集部門に呼びかけたいと思います。

 能登は9月21日、今度は記録的な大雨に襲われ、14人が命を奪われました。朝日新聞はこの日、上田記者の現地ルポを最優先でお届けしました。被災地を歩き、住民の声に耳を傾けた記事から、現地の緊迫感が伝わってきたからです。記事中の「元日の地震で課題となった孤立が、また起きている」という一文は、現場を見た記者ならではの描写で、この日伝えるべきメッセージが凝縮されていました。これからも地に足の着いた災害報道を心がけたいと思います。

  • 上田記者の現地ルポはこちら
朝日新聞東京本社で開かれたあすへの報道審議会=2024年9月14日午後2時12分、東京都中央区、柴田悠貴撮影

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