
ぎらぎらと光る金屛風(びょうぶ)の中を、黒い影に縁取られた漁船が進む。背後には水爆のようにも太陽のようにも見える赤い光。画家・山内若菜さん(47)=神奈川県藤沢市=の作品で、米国の核実験で被曝(ひばく)した日本の漁船を描いている。これを含む8隻の屛風絵が、核兵器禁止条約の第3回締約国会議が続く米ニューヨーク国連本部で、7日まで展示されている。
山内さんは武蔵野美術大学短期大学部で油絵を学んだ。卒業する頃は就職氷河期の真っ最中だった。入社試験は何十社と落ちた。だが、数百万円の奨学金返済が待っている。働かないわけにはいかなかった。
派遣社員となり、ハム工場で働いていたある日。冷凍庫内で滑ってころび、ハムの積んであるラックを倒してしまった。けがをして血が止まらない山内さんに駆け寄ってきた上司が最初に発した言葉は、「ハムは大丈夫か!」だった。
「私はハム以下か」。自分が人間ではなく、まるで物のように感じた。何とか正社員として勤めることができた印刷会社は、午前7時から午前0時半までの勤務が日常のブラック企業だった。
東日本大震災の後、突き動かされるようにして福島に通った。原発事故で被災した人たちや動物たちの絵を描き続けた。なぜなのか自分でもわからなかった。
警戒区域に取り残されたり、殺処分されたりした家畜に自身を重ねていたと気づいたのは何年も後のことだった。「どの絵も自画像でした」
以来、一貫して「声なき声」を描き続けてきた。第五福竜丸展示館(東京都)を訪れ、第五福竜丸以外にも被曝した漁船が数多くあることを知った。魚の値下がりを気にした漁業関係者は、口をつぐんできたという。
第五福竜丸が被曝した1954年より後も、米国は太平洋で核実験を続けた。一方、日本では漁船を対象にした放射線量の検査が54年末で中止に。米国は日本に200万ドルを支払い、国家間では「完全解決」したとされる。
「私自身、声を聞き取ってもらえなかったからこそ、声なき存在が気になった」。漁船に自身を重ねたのは、今回も同じだった。
漁船を金屛風に描いた一連の作品は、どれも強烈な存在感を放つ。「注目してほしかったんです。金屛風を選んだのも『この声を聞いてくれ!』という強いスタンスで届けたかったから」
作品が核廃絶をめざす若者らの団体「カクワカ広島」の目にとまった。会議に合わせて渡米するメンバーが屛風絵を米国に運び、締約国会議に合わせた展示につながった。山内さんは「あの船は、様々に傷つけられ、その痛みを言えなくされてきた命たちの叫びを表している」と話す。
「船はへさきをぐっと上げて、核なき世界へ向かって航海している。その様子を、一人でも多くの人に見てほしい」