半世紀以上前にザ・タイガースのボーカルとして世に出た沢田研二さん。昭和の歌番組では欠かせぬ存在であり続け、75歳の今もライブ演奏への情熱は尽きない。音楽評論家のスージー鈴木さんに、その魅力を聞いた。
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沢田研二というと、一般的には1977年にレコード大賞をとった「勝手にしやがれ」や、最大のヒット曲「時の過ぎゆくままに」といった昭和の名曲が浮かぶでしょう。
また、巨大なパラシュートを背負って歌った「TOKIO」の奇抜さ、「OH!ギャル」の真っ赤なマニキュアや「恋のバッド・チューニング」のカラーコンタクトの妖艶(ようえん)さを連想する人もいるはずです。
絶えず変化しながら、50年以上も日本の音楽業界の一線にいるので、「いつ沢田研二に出会ったか」で印象はかなり異なる。
私がひかれる面は、デビュー当時から一貫して本質的にロックミュージシャンであること、75歳でも音楽活動のど真ん中にライブのコンサートを置き、最優先させている点です。
もともとは京都のロック少年…