鹿児島県立垂水高校の山之内勉教諭=鹿児島県垂水市

 今年5月、水俣病犠牲者慰霊式の記事とともに、伊藤信太郎環境相(当時)と患者・被害者団体の懇談中にマイクが切られたという記事が載っていた。水俣病事件では原因企業チッソに対して規制権限を行使しなかった国の責任も問われている。この「マイクオフ問題」に、鹿児島県立垂水高校の国語教諭、山之内勉さん(58)は憤るとともに「国益を重視して一般市民を切り捨てる国のやりそうなことだ」と思った。そして、ある決断をした。

 山之内さんは水俣病公式確認から10年後の1966年生まれ。同県薩摩川内市出身で、水俣病事件との接点はなかった。学校の授業で四大公害病の一つと習ったぐらい。同市の北にある阿久根市や出水市では患者認定された人はいるが、特段の関心はなかった。

 96年に国語教諭として採用され、2カ所目の赴任先が出水工業高校だった。そこである水俣病被害者と知り合った。酒席で「自分は水俣病被害者」という趣旨のつぶやきを聞いたが、突っ込んで聞くことはためらわれた。

 そのことがひっかかってきた。水俣病事件について学ぶ機会を逸したのではないかと。そして生徒と一緒に学び直す機会があればと思ってきた。

 まずは自身で石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読み通した。作家の池澤夏樹さんが編集した世界文学全集に収録された3部作(2011年刊)だ。「難しくて最後まで読み通すのがやっと。感想をまとめきれないほど濃い内容だった」と振り返る。

 そして、授業で水俣病事件を取り上げるきっかけになったのがマイクオフ問題だった。巡り合わせというべきか、昨年度に垂水高校が採用した明治書院の教科書「精選 文学国語」には苦海浄土の第1部が載っていた。

 7章あるうちの第3章「ゆき女きき書」の1節「もう一ぺん人間に」。ある水俣病患者の語りが展開される。健康そのものだった漁業者の女性がメチル水銀に侵されて漁や家事ができなくなり、ついには亡くなる。そのなかで「もう一度漁に出たい」と願う様子が描かれている。

 「予備知識なしに悲惨な場面を読んだら水俣病患者への差別を生むだけになる」。同和教育を担当したことがある山之内さんはそう考えた。そこで、水俣病患者の日常生活を撮った桑原史成さんの写真集や水俣を撮影した世界的写真家ユージン・スミスさんの評伝、新聞記事などで学ばせた。7月から10月にかけて1節を読み通した。

 山之内さんは授業を受けた3年生4人に感想を書かせた。そのうちの1人は「自分だけで読んだときはなんて救いのない話」と第一印象をつづった。その後の学習を通して「(患者さんたちは)かわいそうな人たちと思っていたのが、強さを持って闘っていたことがわかって自分が恥ずかしくなった」と振り返った。

 生徒が眠気を見せず朗読に聴き入っていた姿に驚いたという。授業での学びをどう生かしていくかは生徒次第だが、「いつか自分で読み通して欲しい」と願う。

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