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ユーモアをまじえて半生を語るアルテイシアさん

 ジェンダー平等をユーモラスに語って人気の高い、神戸在住の作家アルテイシアさん。48歳のフェミニストは親子関係に苦しみ、男尊女卑になぐられ、過食症に悩み、生き抜いてきた。そしていま、「人生がラクになりました」という。それはなぜ?

 ――毒親とのかかわりなど著書「生きづらくて死にそうだったから、いろいろやってみました。」(講談社)に書かれていますね。

 母はいわゆる玉のこし婚で、コンプレックスがあったんですね。自分のできが悪いといわれたくなくて、子どもの私に勉強させた。小学校の時に週6日塾に通って、夏休みも遊べなくて。期待にこたえなきゃと勉強しましたが、死にたいと思っていました。

 父の実家はお金持ちの自営業でした。私が小学生のころから父が家に帰らなくなって、母は40歳で父から離婚してくれといわれた。私が中学生の時でした。

 離婚後に母はアルコール依存症になって、朝からお酒を飲んではわけのわからないことをいう。手首を切るなど自傷行為を繰り返すので、私が祖父母に連絡すると、「おまえがついていながら何やっているんだ」と。

  • 連載【さらば毒親】

 ――支えは何だったのですか。

 中学高校は私立の女子校だったんですが、シスターフッドに救われました。自由な学校で、4時間目に登校しても怒られなくて。家が戦場で、学校が避難所だった。友だちに会いに学校に行っていました。あの学校がなかったら、つぶれていたと思う。

 ――大学に入る時、家を出た。

 家を出ないと、母を殺すか、自分を殺すかしてしまうと思った。地獄の家から脱出したくて必死でした。高校2年から、めっちゃがんばって勉強して国立大へ。受験勉強でも女友だちが参考書をくれて助けてくれました。一人暮らしして生活費も自分で稼ぎました。バイトばかりしている苦学生でした。

 ――そして大学1年生の時、阪神淡路大震災に見舞われました。

 被災して数日後に神戸・三宮で父にバッタリ会って、「なんや、おまえ生きとったんか」といわれた。決定的な傷になりました。地震の時にも心配してくれる人がいない。親にも死んでいいと思われている人間がどうやって自分を大切にできるでしょうか。怒濤(どとう)の勢いでセックスするようになりました。さみしくて、自傷的に。守ってもらわないといけない年齢だったので、親的な存在がほしかったんです。

 ――過食症にも。

 ルッキズムになぐられたんで…

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