写真・図版
母のグエットさん(右)に抱かれ、笑顔を見せる藤原文子さん=1950年代ごろ、ベトナム、藤原文子さん提供

 「日本に来てからは、母のこんな笑顔って、本当に見たことなかった」

 藤原文子さん(70)は福岡県苅田町の自宅で、傷まないようラミネート加工された1枚の写真に目を細めた。

 写っているのは幼少時の文子さんと、ベトナム人の母ファム・ティ・グエットさん(享年84、日本名・元山朝子)。1950年代ごろ、ベトナムで撮影されたものだ。

 「ベトナムは戦争が絶えない時代だったけど、家族や親戚みんなが一緒に暮らせて、母は幸せだったんじゃないですかね」

 グエットさんの夫は、太平洋戦争で従軍した元日本軍兵士の元山久三さん(同84)。朝日新聞元サイゴン支局長の井川一久氏による生前の元山さんへの聞き取りによると、終戦直後はベトナムのハノイ近郊にいたが、日本に戻らずベトナムにとどまった。

 ベトナムでの支配を復活させようとしたフランスに抵抗するベトナム独立同盟(ベトミン)に協力し、独立戦争に加わった「残留日本兵」だ。

 グエットさんは元山さんと結婚して北部タイグエン省で暮らし、文子さんら4人の子をもうけた。文子さんは毎朝、軍服のような黄土色の服を着て出かける父の背中を覚えている。

 休戦協定が結ばれた後の1960年ごろ、文子さんら家族は日本に渡る。苅田町にあった元山さんの実家で、両親ときょうだい、元山さんの母との7人生活が始まった。

 当初、グエットさんは言葉や文化の違いに苦しんだ。地域の人付き合いに悩み、孤独やストレスを抱えた。「死にたい」と口にすることすらあった。

 ある日、小学生だった文子さ…

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