史上初の外国出身横綱となった曙は、同期の若乃花・貴乃花とともに1990年代の大相撲人気をリードした。4月、54歳で世を去った。好角家として知られる文筆家でイラストレーターの能町みね子さんにとって、相撲を楽しむ原体験ともいう存在だったという。その唯一無二の強さについて寄稿してもらった。
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私は相撲ファンとして「平成4年初場所が初土俵」と自称している。実際にはしっかりしたきっかけがあるわけではなく、その頃徐々に大相撲にハマっていったのだが、平成4年初場所(1992年)はたまたま両親が国技館に大相撲を見に行っており、そのおみやげのパンフレットを読み込んでどんどん思い入れが深まってしまったために、その場所をもって初土俵ということにしている。
平成4年初場所は、貴花田が史上最年少の19歳で初優勝を果たしたという歴史に残る場所なのだが、見はじめたばかりで何が何やらよく分からなかった中学生の私は、正直なところ優勝そのものについてはよく覚えていない。それよりも強く印象に残っていることは、横綱がいない、ということだった。大相撲でいちばん強いのが横綱、と聞いていたのだが、それがいない。
ふりかえるとこの場所、東横綱の北勝海は全休、西横綱の旭富士は3連敗ののち引退。続く春場所は、一人横綱の北勝海が2連敗ののち休場。そして翌夏場所を前に引退。その後半年ほど、番付上も横綱が0人という異常な状態が続いた。
大相撲をこの時期に知りはじめた私には、横綱=休む人、というイメージがついてしまった。強いのかもしれないが、半ば名誉職のような、半ば隠居のような……、そういう存在が横綱だと誤解してしまっていた。
そんな横綱空位時代を経て、次に誕生した横綱が曙だった。
私は心底驚いたし、喜んだ…