政治学者・東島雅昌さん寄稿
トランプ氏が返り咲きを決めた米大統領選のさなか、米国のシアトルにいた。ワシントン大学での在外研究で、中央アジアの小国、キルギス共和国について研究するためだ。
今年は世界各地で多くの選挙がおこなわれる「選挙イヤー」。トランプ氏が再び超大国のトップに座るのかは、今後の世界の趨勢(すうせい)に大きな影響を与える極めて重要な選挙であった。それゆえ、8月下旬にシアトルに来て以来、筆者はその動向に目をこらしてきた。
最大の懸念は、選挙が米国の社会不安を高め、暴動や暴力的衝突を招かないか、という点であった。米国人の知人もみな一様に、同じ懸念を口にしていた。
投票日前日、筆者の息子たちが通う現地の小中学校から「どのような選挙結果であっても、私たちは生徒の多様性を変わらず尊重します」というメールが届いたのには驚いた。日本では考えられないことだろう。米国社会を覆う政治的分断の根深さは、それほどまでに大きい。
バラク・オバマ氏が黒人初の米国大統領に選出されたのは2008年11月。その翌年の夏、筆者は政治学を修めるべくアメリカで大学院留学をはじめた。選挙が多様性を包摂する象徴であった米国の民主主義の姿に、大きな高揚感を抱いたことを覚えている。
それからわずか15年ほどの間に、一国の選挙のあり方はこうも劇的に変化してしまうものなのか――。久しぶりに米国で暮らしはじめ、そう強く感じる。と同時に、米国の現在の政治状況は、研究中のキルギスのそれと、異質さよりも共通性の方が際立っているように思えてもくる。
どこが共通なのか。以下、詳述してみたい。
「民主主義の島」で起きていること
21世紀に入るころから、筆者もその端くれである世界の政治学者たちは、「権威主義体制」を熱心に研究するようになった。
冷戦の終焉(しゅうえん)を受け、1990年代以降、世界の多くの国が民主化を成し遂げた。その一方で、民主化の一環として野党が参加する競争的な選挙の仕組みを採用した国々のなかには、為政者があの手この手で選挙を操作し、権力の座に居続けている国もあることが明らかになってきた。
民主主義の根幹をなす選挙が、実は不正に操作されているとすれば、民主主義のルールが問題なく受容されて機能するという前提も、まずは疑わなければならない。いささか逆説めくが、民主主義を深く知るため、権威主義政治の論理を理解する必要が出てきたのだ。
さらに2010年代になると、それまで世界を覆っていた「民主化の波」が反転。米国などの先進民主主義諸国や、「民主主義の優等生」とされてきたベネズエラ、トルコ、ハンガリーなどの国々で、次々に権威主義的指導者が登場した。こうした政治指導者はどうやって民主主義の仕組みを切り崩していったのか。それを理解するには、民主主義の規範に従わない為政者、つまり権威主義体制の政治指導者の行動原理を知ることが有用になる。
筆者がワシントン大学の政治学者と進めているキルギス共和国に関する国際共同研究は、こうした流れの延長線上にある。
キルギスは、中央アジアの権威主義体制を研究する比較政治学者である筆者が対象とする、中国とロシアのはざまに位置する中央アジア地域の東の小国であり、長らく、中央アジア地域という「権威主義の海」に浮かぶ「民主主義の島」と言われてきた。独立系メディアや市民団体・国際NGOが活発に活動し、選挙はときに激しい競争をともなうものだったからだ。
ところが、そのキルギスで近年、急速に権威主義化が進んでいる。契機は2021年1月にサディル・ジャパロフという人物が大統領に選出されたことだ。
「政治腐敗を退治するため」は本当か
1991年に国家として独立…