権力の世襲はいつ生まれたか。その手がかりとなるのが、階層社会が進んだ弥生時代の有力者の墓だ。大規模な墳丘墓がまとまっていくつも連なっていれば歴代支配者の系譜を暗示すると考えがちだが、そう単純ではないとの見方も――。
10月、松江市で日本考古学協会の島根大会が開かれた。テーマのひとつは弥生後半の墓制だった。
地元の山陰地方には弥生後期、四隅突出型墳丘墓という特異な墓が展開する。その名のごとく方形の墳丘の四隅にそれぞれ細長い突出部を持つ不思議な形の墓で、地域社会における支配層の墓というのが通説だ。なかでも西谷墳墓群(島根県出雲市)は複数の大規模な墳丘が隣接して営まれ、古代出雲を統べた権力者一族を追える好例とされてきた。
これに対し、今回慎重な見方を唱えたのが出雲弥生の森博物館の坂本豊治さんだ。「常に四隅突出型墳丘墓が頂点にあるわけではなく、地域によっては方墳の場合もある。(古墳時代のように)規模にもこだわっていない。出雲全域を治めた広域首長の存在も認められない」。そのうえで、弥生の山陰地方に世襲を検討する材料は少なく、西谷墳墓群の世襲も根拠に乏しい、と主張した。
従来の解釈に従えば、他と隔…