広島と長崎に原爆が落とされてから、まもなく80年。大国の核開発が世界を脅かし続ける中、核使用の現実を絶えず訴えてきたのは被爆者たちでした。
「私はモルモットではない。もちろん見せ物でもない。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで見てほしい」
世界に発信した被爆者の代表的存在に、谷口稜曄(すみてる)(1929~2017)がいる。
長崎市の爆心地から1・8キロのところで自転車で走っていて被爆し、背中を焼かれて1年9カ月間、腹ばいで身動きできなかった。その赤く焼けただれた背中の写真を掲げ、核廃絶を訴えた。
2010年5月、国連本部。5年に1回の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を代表して演説した。
「核兵器がなくなるのを見届けなければ、安心して死んでいけません」「長崎を最後の被爆地とするため。私を最後の被爆者とするため。核兵器廃絶の声を全世界に」
核使用を示唆する発言をエスカレートさせるロシア。トランプ氏の大統領就任後に「核戦力を強化する可能性が高い」とされる米国、核兵器使用を「一つの選択肢」としたイスラエル――。この時代にあって、ノーベル平和賞はどんな意義を持つのでしょうか。
演説が終わると会場を埋めた各国代表ら約300人が立ち上がり、拍手が鳴りやまなかった。
オーストリアの外交官アレク…