
未曽有の被害をもたらした東日本大震災から11日で14年となります。各地の追悼や被災者の声をタイムライン形式でお伝えします。
11:15
山中・原子力規制委員長「福島の痛みは、わが身の痛み」
原子力規制委員会の山中伸介委員長は、原子力規制庁の職員約150人を前に訓示した。東京電力福島第一原発の廃炉作業について「まだまだ道半ば」とし、「福島の痛みは、わが身の痛み。廃炉が成し遂げられなければ、私の痛みは続く」と述べた。規制委が続けている福島第一原発の事故調査についても「福島が私の現場というつもりで、原子炉内に入り、調査をしている」と語った。
規制庁は各職員にカードを配り、それぞれの仕事に対する考え方を記入させている。山中氏はカードに「原子力に100%の安全はない、福島は私の大切な現場」と書いているといい、「福島の復興、福島の未来の役に立てるよう、職員の皆さんと一緒に頑張っていきたい」と呼びかけた。
10:47
「あの日で時間が止まっている」 自宅の彫刻作品は流された
10:14
山林火災の後始末続く 被災地の岩手・大船渡
震災で400人を超す犠牲者が出た岩手県大船渡市では11日、前日に山林火災の鎮圧が宣言され、全ての避難指示が解除されたものの、後始末が続いていた。民家が焼けた同市赤崎町の現場では、火種が残っていないかどうか、消防隊員らが焼け跡を一軒一軒回っていた。火種が残っている場合は1カ所ずつ消してゆくという。
10:05
「おれは生き抜くよ」 妻が好きだったトルコキキョウ一輪を海へ
宮城県気仙沼市の小泉海岸で、佐藤誠悦さん(72)が妻厚子さん(当時58)の遺影を波うちぎわに置いた。手を合わせた後、厚子さんが好きだったトルコキキョウを一輪、海に投げた。
海岸のすぐ近くで、厚子さんは遺体で見つかった。佐藤さんは当時、気仙沼消防署の指揮隊長として、市民の救助に奔走した。「あなたを助けられなくて申し訳ない。あなたを忘れず、おれは生き抜くよ」。あの日とはうってかわって穏やかな海に向かい、そう念じた。
9:50
林官房長官「政府一丸となり、復興に取り組む」
東日本大震災の発生から14年を迎えたことを受け、林芳正官房長官は11日午前の記者会見で、「福島の復興なくして東北の復興なし、東北の復興なくして日本の再生なし、との強い決意のもと、被災地の方々に寄り添いながら政府一丸となり、被災地の復興に取り組む」と述べた。
林氏は震災からの復興状況について、「ハード整備や住まいの再建など、復興は着実に推進している」と語った。東京電力福島第一原発事故をめぐっては「廃炉や除去土壌の処分、帰還移住の促進、産業、なりわいの再生など様々な課題に国が前面に立って対応する」とした。
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9:00
津波で妻子なくした元小学校長「また来たよ。あっという間だね」
午前9時、岩手県陸前高田市米崎町の浜辺で、元小学校長の佐々木善仁さん(74)が花を手向けた。14年前、妻・みき子さん(当時57)とひきこもりだった次男・仁也さん(当時28)を津波で亡くした。「また来たよ。14年経ったけどあっという間だね」。みき子さんの遺体が発見されたとされる海に向かって手をあわせ、心の中で語りかけた。
みき子さんは生前、ひきこもり当事者の父母会を主宰していた。佐々木さんは、そんなみき子さんの遺志を継いで昨年7月、仁也さんのようなひきこもり状態の人や不登校の子どもが誰でも利用できる施設「虹っ子の家」を市内に開設した。
開設から初めて迎える3月11日。「二人に後押しされて開設できた。妻は『やったね』と言ってくれるでしょう」。施設には市内外の人々が相談に訪れ、亡き息子にも思いをはせる。「まだまだ孤立して、相談できない当事者はたくさんいる。少しでも支援できればと思う」
9:00
「せめて名前だけでも」 自ら建てた石碑の前で手を合わせる
東京電力福島第一原発からほど近い、福島県大熊町の長者原地区では午前9時ごろ、この地区の区長山口三四(みつよし)さん(80)が自ら建てた石碑の前で手を合わせた。
石碑は今年2月、山口さんが中心となって建てた。震災後に亡くなり、遺族の許可を得た地区の44人の名を刻んだ。
原発事故で、地区の全員が避難を余儀なくされた。その後、故郷に戻ることができず、避難先で亡くなる人が相次いだ。「ここの地で最期を迎えたかった人はたくさんいた。せめて名前だけでもここに戻しました」と語った。
自宅に帰ることを望んでいた山口さんの兄和夫さんも、2017年2月に81歳で亡くなった。「兄貴はここで生まれ育ち、ずっとここで生活していた。最期もここで迎えさせたかった。原発事故さえなければ……」と目に涙を浮かべた。
震災前、長者原地区には約70世帯、200人ほどが生活していた。地区は帰還困難区域に指定され、大半は県内の除染で出た土を保管する「中間貯蔵施設」となった。
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8:50
災害ボランティア経験者、宮城・大川小に足を運ぶ
84人が犠牲になった宮城県石巻市の震災遺構大川小学校で、新潟市の神田康伸さんが11日朝、写真を撮っていた。発災当時は災害ボランティアとして東北に来た。地元の人は、震災のことが忘れられているという不安があるのではないかと感じている。「風化させず、伝えていくのが自分の責任だと思っている」
6:31
海岸で祈る人たち
福島県浪江町の請戸海岸で11日、海に向かって手を合わせる稲川孝子さん(80)ら。稲川さんは10歳で引っ越すまでこの地区で生まれ育ち、東日本大震災で親戚や友人を亡くした。現在は東京都内に住みながら浪江町内にも拠点を構え、子どもたちの教育や帰還住民の心のケアなどに取り組んでいる。
稲川さんは対岸に見える東京電力福島第一原発を見ながら、「地震や津波の自然災害だけでなく、原発事故もあったことで、町の人たちはより深く傷ついた。人間がつくったものには限界があるということ。それでも、起きてしまったことにけじめをつけて前進しないと、本当の復興はできない」と話した。
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6:11
日の出に合わせて踊る舞踏家
福島県いわき市の薄磯海水浴場で11日、札幌市の舞踏家、小田原真理子さん(55)が、日の出の時間に合わせて花を手向け、祈るように踊っていた。被災者に物資を送ったことが縁で、毎年通うようになったという。
「私を受け入れ、どんなことがあってもどうやって生きていかなきゃいけないかを、たくさん教えてもらった。感謝の気持ちを伝えたい」
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■■■3月10日の動き■■■
18:00
駅前に1千本のキャンドルライト 福島・双葉町
2022年夏に一部地域で避難指示が解除され、原発事故の被災12市町村で最も遅く住民が戻った福島県双葉町では、JR双葉駅前に約1千本のキャンドルが灯(とも)された。
双葉町に2年前に家族と引っ越してきた小学4年生の高久田寧々さん(10)は「みんな楽しく双葉町」と願いを込めた。昨年元日に地震があった能登半島や、都内などからも「能登も福島もみんなで復興」といったメッセージが寄せられた。
17:35
宮城・南三陸町の旧防災対策庁舎に照明点灯
屋上の高さを超える津波にのみこまれ、町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎に、日没と同時に明かりがともされた。保存か解体かを巡り町民の意見が割れていたが、昨年、佐藤仁町長が、震災遺構として恒久保存することを決断。それを機に今月から月に二晩、照明で照らすことになった。
日がすっかり暮れると、赤い鉄骨だけになった庁舎が暗闇に浮かびあがった。佐藤町長は震災の日、庁舎屋上にいて津波から生還した一人。「生き残った者として、亡き仲間がふるさとに戻ってくる時、ここに明かりがついてるよと示してやりたかった」と、照明を見ながら話した。
町では、華美な印象がある「ライトアップ」とは呼ばないとしている。