被爆者の生活を聞き取ったカルテの前に立つ村田未知子さん=2024年5月10日午前11時58分、東京都文京区湯島2丁目、寺島笑花撮影

 膨大な資料が並ぶ事務所に、カラッとした明るい声が響く。「元気? 心配してたのよ」。在京被爆者の団体「東友会」で相談員を務めて42年になる。

 東京西部で生まれ、広島、長崎にゆかりはなかった。きっかけは小学6年の社会の授業。教壇から先生が掲げたのは、原爆の被害の写真を雑誌で初めて掲載した「アサヒグラフ」。やけどでただれた顔で横たわる女性は、とても自分と同じ年頃とは思えなかった。アルバイトでお金をため、18歳で被爆地を訪れた。

 病院の事務職として就職後、31歳の時、知り合いの被爆者から会に誘われた。訪れた事務所には、あの日見た写真。飛び込んでみようと思った。

 家族を失い、自分の名前も分…

共有
Exit mobile version