6年前の火災で焼失し、復元工事が進む沖縄県の首里城。「令和の復元」と呼ばれる今回の工事では、技術継承、人材育成が大きなテーマになっている。「沖縄や日本の伝統建築を支えてくれる人を育てたい」。ベテラン職人の思いが、次世代に受け継がれてゆく。
琉球国時代の建築文化の粋を集めた首里城は、焼失と再建を繰り返してきた。第2次世界大戦末期の沖縄戦で焼失した首里城を復元した「平成の復元」に参加し、今回の工事にも携わる職人は60代、70代が中心。人材育成が急務で、国や県の基本施策にも「伝統技術の活用と継承」が盛り込まれた。
今回、復元を支える若手職人の顔ぶれはさまざまだ。木工、瓦、彩色、彫刻、焼き物など多くの現場で、20代、30代の若手職人が働く。
息子に見せたい「父ちゃんが作った龍頭棟飾」
「正殿の守り神」と言われ、屋根の上部3カ所に設置される「龍頭棟飾」(りゅうとう・むなかざり)を製作する「株式会社環芸」の工房(同県南城市)で働く彫刻家の早川信志さん(35)は、9人いる「後継者育成メンバー」の一人。愛知県出身で、彫刻を学ぶため沖縄県立芸術大学に入り、卒業後、同大の非常勤講師として働いていた時に採用された。
「龍頭棟飾」は、約200個のパーツに分けられた焼き物を、屋根の上で組み立てながら設置する。大きいものは長さ約3メートル、高さ約2メートル、総重量2トンにもなるため、設置作業の重要度が全体の70%以上を占めるともいわれる難しい作業だ。
早川さんがこれほど大きなものに取り組むのは初めて。「彫刻の範囲を超えて、建築物の一部になるもの。設置作業から逆算して仕事の流れを組み立てる考え方が新鮮で、勉強になる。自分ができる仕事の範囲が広がった」という。
18歳から過ごした沖縄は青春のすべてで、自分を育ててくれた場所。「学んだ知識、経験、技術を少しでも沖縄に還元できたら」と話す。5歳になった息子に「あれ父ちゃんが作ったんだよ」といって見せるのを楽しみにしている。
「今が人生で一番楽しい」
宮大工として働く後藤亜和(あや)さん(22)は沖縄県北中城村出身。木造建築の建築士の仕事をする父親の影響もあり、高校卒業後、大工の道に進んだ。「人を守る仕事をしたい」と警察官を目指したが不採用に。「守るという意味では宮大工も同じ」「伝統文化も守れる」と、大工の道を選択した。父親から勧められ首里城復元の現場で宮大工の仕事を始めた当時、大工の経験は2年半ほどしかなかった。
首里城正殿の復元工事に関わ…