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政治学者で同志社大教授の吉田徹さん

 自民党や立憲民主党など主要政党のトップ交代が重なった。新総裁の石破茂首相と野田佳彦代表の政治姿勢は、党内で競合した有力候補に比べると「中道回帰」に見える。世界的に左右への分極化とそれへの反動が起きる中、日本の政治は中道へと収束していくのか、有権者はそれを望んでいるのか。欧州政治に詳しい政治学者で同志社大教授の吉田徹さんに聞いた。

働かなかった「左ばね」「右ばね」

 ――自民党総裁に石破氏。立憲民主党代表に野田氏。公明党や共産党のリーダーも代わりました。新しい政党政治のあり方につながるでしょうか

 自民党内では清和会(安倍派)的な「政治保守」と宏池会(岸田派)的、あるいは旧田中派、経世会(旧竹下派)的な「経済保守」の潮流がせめぎ合ってきました。2000年代以降は主に「政治保守」の側が権力を握ってきましたが、前回(21年)や今回の総裁選では自民党内の復元力が働き、「経済保守」の側へと振れる疑似政権交代が起きたかたちです。この流れが定着するかどうかは、石破政権に対する民意のゆくえにより左右されます。

 政党政治における政党間競争では「遠心的競合」が生じる時があります。政党が分かりやすい旗を立てることで有権者を引きつけようとする戦略で、右傾化に対して左傾化、左傾化に対して右傾化と、互いの距離が離れていく「分極化」の力が働きます。

 今回の党首交代劇でいうと、枝野幸男氏が立憲民主党の代表に就任していれば右寄りの自民党の政治に対する「左ばね」が働いたと言えたでしょうし、高市早苗氏が自民党総裁になっていれば「右ばね」が働いた「遠心的競合」の結果だと言えたでしょう。

 ――ただ、今回はそうした左ばね、右ばねが強くは働かなかったように見えます

 野田代表に対抗するには、高市総裁だと右に寄りすぎて、中道が空いてしまうという危機感があったかもしれません。自民党議員たちの選択には、石破総裁のほうが野田氏に対抗しやすいという意識もあったでしょう。

 英国の政党政治史でいうと、保守党のサッチャー首相(1979~90年)に対抗する労働党の「左」寄りの路線が支持を集められず、90年代になるとブレア氏(97~2007年に首相)らが「第三の道」という中道回帰の路線を掲げます。対する保守党もキャメロン氏(10~16年に首相)が中道化を模索する。遠心力と求心力が代わる代わる働き、政党が互いの立ち位置をうかがうダンスのような状況が生まれます。

 衆院選を前に、いま私たちが考えるべきことは何か。有権者として何を問われているのか。インタビューや対談を通して考えます。

 ――なぜ今回の日本の党首交代では遠心力ではなく求心力が働いたのでしょうか

 21年の衆院選や7月の都知…

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