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会見する日本製鉄の橋本英二会長=2025年1月7日、東京都千代田区、川村直子撮影

Re:Ron連載「社会のかたち 越直美の実践」第6回

 日本製鉄は1月6日、米鉄鋼大手USスチールの買収に対するバイデン大統領の中止命令を無効とするよう求める訴訟を提起した。この買収を巡っては、米同業のクリーブランド・クリフスなど2社が協力して買収を計画しているとも報じられ、激しい応酬が交わされている。

 日鉄による買収計画は果たして実現できるのかに注目が集まっているが、日鉄が訴訟に勝ち、USスチールを買収できる可能性は残念ながら低いと考える。なぜか。

 私は、日本とアメリカ(ニューヨーク州、カリフォルニア州)の弁護士として、日米間のクロスボーダー取引に関わってきた。また、大津市長として行政や政治に携わってきた。

 そうした体験を踏まえて今回の事態を見ると、法律自体が大統領の決定に司法審査が及ばないと明確に定めている中で、最後に強いのは政治の力であると思うからだ。

 具体的に説明していきたい。

司法審査が及ばない大統領判断

 日鉄がUSスチールの買収を発表したのは2023年12月。大統領選イヤー(24年)の直前であった。

 アメリカの国防生産法では、大統領が外国企業の買収を安全保障の観点から審査し、安全保障の脅威となるおそれのある取引を阻止する権限を持っている。実際には、対米外国投資委員会(CFIUS)が買収について審査し、CFIUSで結論が出ない場合に、大統領が決定するという流れだ。

 日鉄の買収についてはCFIUSで意見がまとまらず、バイデン大統領は、1月3日に中止命令を出した。この命令の無効を求めるのが今回の訴訟である。

 日鉄がこの訴訟に勝つのが難しいのは、国防生産法に以下の条文があるからである。

 The action of the President shall not be subject to judicial review. つまり、大統領の判断は司法判断に服しない。そうはっきりと法律に書いている。

 日本でもアメリカでも、通常、行政機関の決定に不服がある場合には、裁判所に訴えて判断を仰ぐことができる。しかし、国防生産法に基づく安全保障にかかる判断に関しては、大統領が決定をすれば、裁判所はその当否を審査することができない。

 これは、三権分立に基づく。

 国防生産法をつくったのは議会だが、その議会が、安全保障に関しては、議会でも裁判所でもなく、大統領に任せるのがよいと判断しているのである。議会や裁判所は、機密情報を迅速に収集し、国際的な政治情勢も踏まえ、国の安全保障の脅威となるかどうかを判断するには適しておらず、軍の最高司令官(Commander in Chief)でもある大統領に委ねるべきだというのが、いわゆる立法趣旨である。

 ただ、過去に1例だけ、企業が勝訴した例がある。その判決では、大統領の決定を裁判所が審査することは禁止されていると明示した上で、決定に至る過程で適正な手続きがなされていないとされた。そこで、日鉄も今回の訴訟においては、手続き違反や大統領の政治的目的のために法の支配が無視されたと訴えているわけである。とはいえ、そもそも司法審査が及ばないと定められている大統領の決定に対する訴訟は、ハードルが高い。

 買収を阻止する大統領の判断に対しては、「日本は同盟国であるのに、安全保障上の脅威となるのはおかしい」という意見がある。冷静に考えるとそのとおりである。実際、これまで中止命令が出されたのは、中国に関するものであった。

 しかし、実はCFIUSの審査権限や大統領の拒否権が成文化されたのは、日本企業の動きがきっかけだった。1980年代のバブル期に、日本企業がロックフェラーセンターなどのアメリカを象徴するような資産を買った。86年には、富士通がアメリカの半導体企業を買収しようとしたが、国防総省などの反対により頓挫した。当時も日本はアメリカの同盟国であったが、日本への反発や懸念が広がり、それが制度の確立につながったのである。

 アメリカの対応が「保護主義」だという議論もあるが、日本にも外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づき、外国企業による日本企業の買収を審査する制度がある。まさに今、カナダのアリマンタシォン・クシュタールのセブン&アイ・ホールディングスに対する買収提案について、この外為法の事前届け出の対象になるとされ、攻防が繰り広げられている。

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USスチールの工場入り口の看板=2024年12月12日、米ペンシルベニア州クレアトン、真海喬生撮影

クロスボーダー取引で重要な三つの要素

 一連の出来事を振り返って感じたのは、クロスボーダー取引において重要な要素としては、①経済合理性②法律③政治――があるということだ。私は、弁護士として両国でM&Aに携わった後、市長になり、今は弁護士をしながら、会社を経営している。その経験に基づいていうと、経済の世界は「数字」、法律の世界は「理論」、政治の世界は「感情」である。

 これら三つの視点から、今回の買収が暗礁に乗り上げた要因を整理してみたい。

 第一の経済合理性に照らせば…

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