日本山岳会の第27代会長で、医師・登山家の橋本しをりさん。国際山岳医。都内で営む医院では登山者検診も=東京都千代田区

 日本山岳会は1905(明治38)年、日本初の山の会として誕生しました。その会長に2023年6月、東京都内でクリニックを営む医師で、登山家の橋本しをりさん(71)が就任しました。女性の会長は、初めて。どんな会を目指すのか、尋ねました。

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 医師の父が勤める結核療養所は神奈川県の丹沢山麓(さんろく)にあり、山は身近な存在だった。中学2年の学校登山で北アルプスの燕岳から槍ケ岳までを縦走し、その爽快感と達成感に心を奪われた。

心奪われた爽快感と達成感

 東京女子医科大学医学部に進み、ワンダーフォーゲル部で本格的に登山を始めた。「冬山にも登りたい」と思ったが、ワンゲル部は夏山だけと知った。大学病院に勤めていた登山家の今井通子さんに相談した。今井さんは大学の先輩で元山岳部員でもあり、協力を得て、休部中の山岳部を復活させた。

 「登山は学生時代まで」と心に決めていた。けれど、医師になって2年余り、書店で手にした山岳雑誌で、登山家の田部井淳子さん率いる日本女子登山隊の遠征を知った。山から離れていたが、行き先は、長年憧れていたブータン。遠征に応募し83年、医療担当隊員として参加、セプチュカン峰(5200メートル)に登頂した。

ポータブルの計器で指先の末梢血管の血液量の変化を測り、低圧低酸素環境に順応するための血管の収縮・拡張状態を調べる橋本しをりさん(右)=1983年ブータン遠征で、橋本さん提供

 計器を運び、健康管理を通して、高峰の低い気圧と低酸素状態が人体に与える影響を調べた。「おもしろいフィールドだ」と、その後も山に登りながら研究を続けた。

 「最も感慨深い」のは、日本女子登山隊長として登頂した88年のガッシャーブルム2峰(8035メートル)だという。

がん体験者とも山へ

 00年、日米合同のがん体験者富士登山で、ボランティアを募集していることを新聞記事で知り、医療・山岳サポーターとして応募した。過去に登った最も高い山の欄に「8035メートル」と書くと、実行委員会への参加を誘われた。

 参加したがん体験者の協力を…

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