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阪神・淡路大震災後、神戸市内の被災現場を8ミリビデオカメラで撮影した当時神戸市職員の松崎太亮さん=本人提供

 6434人が犠牲になった1995年1月17日の阪神・淡路大震災は、市民がインターネットで世界に発信した日本初の大災害となった。当時、国内のネット利用率は1.6%にすぎなかった。

 午前5時46分に地震が発生。神戸市外国語大職員だった芝勝徳(66)は自宅から大学へ向かった。道路では信号は停止していて、パジャマ姿で歩く人がいた。

 大学到着後、地上波放送が見られない中、NHKのBS放送で阪神高速の倒壊などを知ったが、被害の全容がみえない。電話も一部しかつながらず、孤立感を抱いた。

【特集ページ】ネットと災害 30年史

1995年の阪神・淡路大震災から去年の能登半島地震へ。進化したインターネットは命を救う役割を果たす一方、偽・誤情報を拡散させる弊害も生み出した。30年間に起きた災害を軸にネットの功罪を考える。

 現在、名誉教授の芝は当時、ネットワークの構築を担当していた。

 「ネットで情報を発信すれば、きっと誰かが反応してくれる」。そんな思いで地震から約5時間後、ねじ回しを片手に機械類と格闘を始めた。

 主要サーバーの記憶装置HDD(ハードディスクドライブ)が地震で壊れていたが、別のサーバーからHDDを移植すると、正常な回転音が聞こえてきた。「こいつ動くぞ!」

 芝は外大のウェブサイトにコンピューター言語htmlを使って新たなページを作った。神戸市は94年から外大のサイト経由でネット発信をしており、17日夜、外大経由での震災情報の発信を決めた。

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「1月17日午前5時46分、深刻な地震が起きた」と芝勝徳さんが発信した神戸市外国語大のホームページ。カラーだったが白黒データしか保存されていない=芝さん提供

英文で世界に公開 国境越え支援の申し出

 翌18日午前、ホームページが世界に公開された。英文でこうつづっていた。

 〈我々は深刻な地震を経験し…

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